「夫レ美術ハ國ノ精華ナリ」
『光琳百図』を手に入れた。これは酒井抱一が鈴木其一などと自宅で尾形光琳の百回忌を行ったときにあわせて自身で企画出版した江戸時代の美術図録。作者の熱い思いを感じる出版物に触れることほど嬉しいことはない。
琳派の作品を美術館で見てから40年が経過したが、未だに分からないことがたくさんある。たとえば、江戸琳派とは何か。何故、京都を舞台としていた琳派が京都では途絶え、光琳から百年後の東京下町に突然現れたのか。
そもそも、琳派は日本の伝統芸能・工芸の世界のように血縁によって継承されたものではなく、本阿弥光悦以降、百年を周期として、次々と天才が現れて技が受け継がれパワーアップしてきた。そのような特異性のせいか、日本だけでなく国外の芸術家や思想家にも影響を与えている。
数年前のサザビーズのオークションで、ジョージア・オキーフの作品が女性画家の作品としてはオークション史上最高額となる50億円超で落札されるというニュースが流れた。オキーフのことは大学の美術史の授業で初めて知り、ちょうど開催されていた展覧会で作品を見て一目惚れした。後に知ったのだが、オキーフの座右の書は、大和絵の復興を望み『國華』を創刊した岡倉天心の『茶の本』である。高齢になって視力が衰えた後も、オキーフは側近に頼んで『茶の本』を読んでもらっていたという。若くして東洋画の技法を学んだオキーフが98年の生涯を通して岡倉天心から見つけ出したことに琳派の淵源があり、私の疑問を解決してくれるかもしれない。9月16日から出光美術館で開催される「江戸の琳派芸術」愉しみである。