「ひとりアウトサイダー出版社」を目指して
はじめまして。神田錦町で一人出版社「旅と思索社」をやっております、廣岡一昭と申します。
極小出版社の経営者が自らを形容するとき、「いちばん小さな」と皆さんおっしゃいます。わたしもその一人ですが、何か差別化を図ろうと、それなら「本の街、神田でいちばん小さなひとり出版社」と勝手に言わせていただいています。
高校卒業後、親が苦労して捻出してくれた学費をどぶに捨てるように音楽の専門学校を中退。フリーターを経て、25歳で御茶ノ水の某取次子会社で印刷紙器の版元営業としてこの業界に足を踏み入れ、一時はタクシー運転士、路線バス運転士、その後、自動車業界紙記者、零細版元の「何でも屋」と、まあ……自分でもなんといってよいか分からないほど、あちこち渡り歩いてきました。
そして43歳、入社して10年で会社が大きくなり、すれ違いの多くなった版元を飛び出しました。<なんとかなるだろう!>昔と全く変わらない悪い癖がまた出てしまいました。
2014年5月、退職金となけなしの貯金、85万+15万円のノートPC、合わせて100万円を資本金として、竹橋駅すぐ近くの「ちよだプラットフォームスクウェア」という官民連携のコワーキングスペースで会社を設立しました。
毎月1万6千円の利用料を払ってわたしが使えるのは、場所の定まらない図書館の自習スペースのようなデスクと、ミカン箱が一つくらい入る専用の鍵付きロッカー、そして郵便受け。ほんとうに最小の出版社です。
会社をつくるとき、一つだけ決めていたことがありました。
<これからは、自分の思った通りに、作りたいものだけ作ろう。そしてちゃんと考えよう>過去の自戒の念を込めて社名の中に「思索」を付けました。
さて、通常の出版社のスタイルは、毎月決まった点数を刊行し、売上金を回しながら制作原資を捻出する。当たり前のことですが、わたしのように一人で、しかも編集経験の少ない者にとっては、毎月本を出し続けられるような企画のストックは多くはないし、そのスピードもゆっくり。年に数点の刊行では、当然、本を出すための原資獲得のサイクルがなかなか安定しません。
では、どうするのか。ある日、出版事務のお手伝いの声がかかって需要に気づいた、小さな出版社の請負業務。<そうか! これがあったか>何でも屋ゆえの経験が生かされました。現在、2社の版元さまから営業や編集作業などのお仕事をいただき、新たな経験も積ませていただいています。ほかにも、病院関係の印刷物とその編集制作を医療コンサルティング会社さまからいただきながら、自らの会社の基盤づくりを進め、本づくりを「楽しんで」います。
そんな緩く思われがちな(事実!)会社経営で、これまで企画出版4点、自費出版2点の本を刊行しました。
「二十世紀酒場(一) 東京・さすらい一人酒」(2015年10月)
「二十世紀酒場(二) 東京・さまよいはしご酒」(2016年9月)
「人生と道草 創刊号」(2017年2月)
「カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で」(最新刊・2017年6月)
上の企画出版の4点は、どれもわたしと著者の思いを込めて作り上げた本です。
「二十世紀酒場」の著者・多田欣也さんは、プロの庭師。コワーキングスペースの懇親会で、屋上緑化の専門家の方から「面白いものを作っている人がいるよ」と紹介してもらったのがきっかけでした。
初めて出会った著者が恥ずかしそうに見せてくれたホチキス止めされた冊子。20年かけて大衆酒場を飲み歩き、味のある手書き絵と文字で店のたたずまいや料理の感想をはがき大の紙に1軒ずつ記していました。
わたしが初めて見る、消えゆく古き良き大衆酒場の世界。本として残したいという共通の思いがつながった瞬間でした。ちなみに著者はいまではわたしの大衆酒場めぐりの先生でもあります。
「人生と道草」は、前述の「二十世紀酒場」の著者・多田氏の姿勢に感化されて、わたしが編集人となって一人で創刊した、雑誌形式の本です。裏方に回ってすっかり忘れていた、自らが表現し、形にする喜びをあらためて思い出させてくれました。
毎回、自分の好きな一つのテーマで、日常からかなり離れたところにある、変わった「道草」を取り上げようと、創刊号では体を張り30キロの道のりを飲み歩きながら取材しました。A5判モノクロ、16ページ中綴じで、税込み500円。印刷以外はオール内製で、1,000部刷って300部売れればとりあえずペイラインに乗るよう設計しています。
この本はただの道楽だと一部で指摘されていますが、作り方、売り方次第では、わたしのような一人出版社における売上のベースになってくれる可能性があるように感じています。次号はもっとページを増やしたいと野望を抱いていますが、この暑さで体を張る自信がないため、第2号はもう少し先になりそうです。
そして最新刊は6月に出た「カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で」です。電通のコピーライターだった著者の前田将多さんが会社を辞めてカナダに渡り、北米に生きる現代のカウボーイとともに暮らし、その仕事と生活を記したノンフィクション作品です。
すべては昨秋、突然かかってきた一本の電話から始まりました。内容は原稿持ち込みの出版依頼。カウボーイの本を出したいのでぜひ会ってほしいというものでした。まじめな話しぶりに、いつもの原稿持ち込みとはちがう何かを感じて、つい、上京する彼と会う約束をしたのです。当日、わたしの目の前に現れたのは、非常に礼儀正しい「カウボーイ」姿をした細身の前田さんでした。
目の前に置かれた分厚い原稿。そう、もう彼は原稿を仕上げていたのです。そしてまじめゆえ、どこかとっつきにくい雰囲気の彼から熱心な説明を聞き、わたしは逡巡しながらもけっきょく、その原稿を預かりました。それは、わざわざ奈良から来てくれた彼を失望させたくなかったのかもしれません。
しかし、それは杞憂に終わりました。預かった原稿には、彼のまじめな人柄とともに、厳しい自然と隣り合わせのカウボーイの暮らしが興味深く描かれていて、気がつけばすっかりその世界に浸っていたのです。およそ2週間、資金繰りに悩み、借金する覚悟を決め、本を出したいと彼に返事をしました。
それからが楽しくもたいへんな日々です。メールや電話で「ここはこうしましょう」「こういうの僕は嫌いです」二人との生みの闘いが始まりました。彼が上京するときには夜遅くまで酒を飲み、それぞれの人生を語りながら、本づくりへの思いを共有する。信頼の絆を強めながら半年間かけて作品は磨き上げられ、素晴らしい本になったと自負しています。
おかげ様でこの春で設立4年目を迎え、はじめて単年度で黒字になりました。もっともこれまでの赤字と持ち出しの未払金がたんまりあり、まだまだ予断を許しませんが……。
会社を始めて、同じ業界の諸先輩方からたくさんの貴重なアドバイスをいただきました。「大取次の口座を持ってなきゃ売れない」「少ない部数じゃ本を売る意味がない」「そんな背のない薄い本は流通できない」「もっと値段を下げろ」などなど……。
それはわたしにも理解できるのです。でも、わたしの会社なんかより、はるかに条件が整っていながら倒れていく出版社を目の当たりにして、いままでと同じやり方をすれば力のない会社はいちばんに潰れてしまうのは明らかです。だからこそ、わたしはこれまでとは違うやり方をあえて選ぼうと思ったのです。
本づくりほど、大企業と零細企業でも中身で互角に勝負できる、こんな素晴らしい商売はほかにはないと思います。
ばらまきで本を売る時代は終わり、どこでどうやって売るのかが重要になってきています。でも、一人でできることには限りがある……。だからこそ、ネットなどを積極的に使いながら共感を得て、新たなやり方で本をつくり、売るという発想を持った小さな出版社が萌芽するチャンスでもあるように思います。
わたしは中途半端に出版業界を知っているがゆえに、その固定観念から抜け出せないのが怖くもあります。だから経営者として、出版とは関係のない、さまざまな世界で生きる人たちと関係を築いてきました。実はそれが本づくりの王道で、いちばんの近道になるということが最近になって理解できてきました。一人出版社の強みは、まさに経営と本づくりの一体化にあるのだとしみじみ感じます。
今後も、心構え的には「ひとりアウトサイダー出版社」として、これまでのやり方に捕らわれない本づくり、出版社づくりにチャレンジしていきたいと思います。そしていつの日か、「本づくりには夢と希望があるよ」と、今月の支払いのことを心配せずに酒を飲みながら笑顔で言えるといいなあと思います。