信頼の絆
平成26年10月「天皇皇后両陛下の80年−信頼の絆をひろげて」が日本橋高島屋で開催されました。展示されていた天皇陛下の書き初め(昭和21年)の前で私は釘付けとなりました。平成(『史記』五帝本紀の「内平外成(内外、天地とも平和が達成される)」からの引用)とは、戦争が終わって初めて迎えた元旦の陛下の御決意で、その実現のために70年間取り組まれていることを知ったからです。
日本が戦後70年を迎えた同じ年は、アメリカにとっては50年目の節目でした。それはキング牧師をリーダーとした公民権運動、それが1965年に全米に知れわたるきっかけとなったアラバマ州セルマからモンゴメリーへの行進です。
2015年には「セルマ」という映画も封切られ、アカデミー賞にもノミネートされました。モンゴメリーにあるCivil Rights Memorial Center付近のストリートには「The March Continues(行進はつづく)」という垂れ幕が掲げられました。
この言葉通り、法律はずっと以前から整備されたものの、未だ人種差別は終焉する様子もありません。一体、誰がどのようにして終止符を打つのでしょうか?そして、日本の戦後はいつ終わるのでしょうか?
「Constitutional Civil Liberties」は、私が憲法における公民権の基本を学んだ教科書です。
この本で憲法は、国民の価値観や文化を土台にして作られている人間味のある法律であることを知りました。それ故、国によって憲法が異なるのは当然なのですね。そして、日本人である自分にとっては驚かされるような条文がそれぞれに国の憲法に存在することに気づきました。という意味ではアメリカから押し付けられた?感のある日本の憲法であるという理由で、憲法改正議論や安全保障上の問題がクローズアップされるのも無理はありませんが、国会だけで議論をするのではなく、国民の多くが我々の生活に根ざした憲法議論に参画できるような場を作ってほしいところです。
フランスのテロ事件の後、再びヴォルテールの「寛容論」がよく読まれているそうです。日本では忠臣蔵など仇討ちを美化する文化があるように思います。テレビドラマの「半沢直樹」で「やられたらやり返す。倍返しだ」という台詞が話題にもなりましたが、そういう意味では日本人は西洋人とは異なった寛容性を持っているのかも知れません。