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決算物語

 共和国のシモヒラオ氏は頭を抱えていた。ここでいう共和国とは一般名詞ではなく、昨2014年4月に、このシモヒラオという元編集者がなけなしの100万円を投じて起業した極零細出版社のことだ。ほかに社員めいた存在もないようなので、かれが代表取締役兼奴隷ということになる。この1年のあいだにもそもそと少部数の新刊を6点刊行し、売れ行きこそタイトルによって波があるものの、なんとか次年度も法人を存続できる見通しらしい。

 いま、そのシモヒラオ氏が、そうでなくても浮かない顔をいっそう歪ませているのはなぜか。かれの共和国がはじめての決算期を迎えているからである。本なら編集できるし、それを世に出すこともできるのだが、そして確定申告くらいはクリアしてきたとはいえ、本格的なケ—リやゼーム、ローム等々についてはまったく疎い。疎いどころか冥い。もともとが研究者くずれだし、編集業以外したことなかったのだから詮なきこととはいえ、あまりに冥すぎるため、ようやく決算月目前になって友人から税理士さんを紹介してもらうと、指示されるままにあれこれの決算資料をみつけだすべく自宅兼事務所を捜索しているのだが、あの書類この書類の存在が、もはや一条の満保魯詩と化していたのだった。

 たしかそんな書類が届いていたなあ、と記憶をたどって紙塵の山をくずしていくのだが、みつからないものはみつからない。われ泣き濡れて紙とたわむる。そんなシモヒラオ氏でも出版者を名乗ることができているのは、これはもう流通面をもっぱら委ねているトランスビューの工藤さんのおかげであろう。いつもありがとうございます。 


 ところで、昨秋のある日のこと、取引先銀行の営業担当氏とその上司氏が、息せき切ってかれの陋屋兼事務所を訪れた。「シモヒラオさ……いえ、社長、ちょっとここだけの話ですが……」と、そのふたりでやってきたうちの上司氏のほうが声も頭も低くして語るには、なんでも共和国の法人口座からなにがしかの金子が差し押さえられたのだという。ええっ、いくらなんでも創業半年でもう差し押さえ……と、いくらケーリに疎くて冥いシモヒラオ氏でも、これには立ったまま尻餅をついていた。

 気を取り直して難聴気味の耳をすませてよくよく聞けば、なんでも下手人は年金事務所らしい。年金事務所! そうそう思い出してみると、たしかに最初の3カ月分を支払って以降の数カ月、あちら方面から舞い込む膨大な数の封書やハガキは封も切らずに右から左である。資源の無駄遣いだとさえ思っていたくらいだ。役所一般にたいする嫌悪感が先立っていたのは否定しようがないけれども、起業して法人にするとこんなにあちこちから請求書だの督促状だのがやってくるのか……と閉口していたこともある。ついつい企画や編集実務を優先して、それ以外の書類は見て見ぬふりだったのである。

 それにしてもあいつらめ、たった20万で差し押さえなのか。たまたまそのときは口座に請求額に数倍する残高が残っていたので、「社長、資金がないわけじゃないですよね、どうしてこんなことに……」。驚いているのは当事者以上に銀行で、「このまま放置すると明後日には取り引き停止になりますよ」。となれば、いますぐ年金事務所に話をつけて、差し押さえを取り下げさせなければならない。すぐに所轄の年金事務所に電話して、そちらへ行って事情を聞かせてもらうから——と、シモヒラオ氏はおっとり刀で陋屋兼事務所を後にしたのだった。

 電車、バスと乗り継いで到着した年金事務所で徴収担当氏をつかまえ、委細を問うと、「4カ月分滞納されてるんで……」という。わずか4カ月? それでもう差し押さえなのか! 「督促状その他の書面もお送りしましたから……」。たしかに封も切らずに放置していたが、わたしから20万取ることがそんなに重要なんですか。なら直ちにキャッシュで払うからすぐに差し押さえとやらを解除してもらいたい。たいだい銀行引き落としの契約にしていないのに、どうやってこっちの口座を知ったんですか? 「いくつかの信用機関を使って調査させていただきました」。信用機関! いくらこちらが研究者くずれの編集者あがりとはいえ、もう「!」と「?」の連続でしかない。そうかそうか、2500円の本を1000部作って、1冊売れてようやく1500円とか1600円、そこからさらに直接間接の経費を差し引いて……という小さい商いで食ってる極零細出版社から、たった20万ぽっちを差し押さえるためにその信用機関とやらを駆使して追いかけなければならないほど、あなたたちはヒマで予算があるんだな。へー。ほー。

「わかりました。はい、いまお支払いいただいたんで差し押さえは解除のお手続きをいたしますが、銀行への通知は郵送でいいですか、それとも銀行に直接いきましょうか?」。明後日には取り引き停止だとか言われてるし、わたしもここまで足を運んだんだから、そちらもいますぐ銀行にいって手続きしてくれませんか。「はい。ところで、これまで何度か書面でお願いしていますが、銀行引き落としにしませんか?」。絶対しません。これからも、たとえ滞納金を支払ってでも、銀行引き落としになんか絶対しない。(そうでなくてもあんたたちはひとのお金を預かっているという意識がないだろう、なにが信用機関だ、このヤロー!)

——という一節が喉を越えて飛び出かけたが、ぐっと飲み込み、鼻息だけは荒くして帰路についたのだった。で、いまになってみれば、シモヒラオ氏はそんな捨て台詞を吐かなくてよかったのである。


 さて現在、シモヒラオ氏は自宅兼事務所のあちこちをひっくり返して決算用の書類を探索しているのだが、あろうことか、起業後3カ月分の社会保険料の領収書がみつからない。これまでの経緯を鑑みるに、たしかに入金はしているはずだが、どこを押しても引いてもその証拠がみつからない。われわれが生きているこの現実には、キーワードを放り込めば一発で探しものがみつかる便利な検索窓などないのである。くそー。やむをえん、と、ひとり静かに受話器を取るのだった。

 ——お忙しいところ申しわけありません、徴収ご担当者さんお願いできますか。はい、はい、それで領収書って再発行できるんですか? できない、そうですか。ほほう、納入証明なら出せるんですか、助かります! それでいいのでいますぐうかがいます、いやー、そう言わずによろしくお願いしますよー。ありがとうございます!

 これに続けて、「てへっ」くらいのお愛想は言ったかもしれないのだ、シモヒラオ氏は。そして、もう面倒だから銀行引き落としでもいいか、とさえ考えているのに違いないのである。なんという杜撰、なんという軽薄、なんという傲慢! ああ、こんな代表のもとで、共和国に未来はあるのだろうか……? 生れて、すみません。


 ともあれ、ここからがほんものの共和国代表で、下平尾 直(しもひらお・なおし)と申します。誤解があるといけないので贅言しておきますと、ここまでの物語はすべてフィクションで、実在する法人・個人とはいっさい関係ありませんが、みなさまのおかげでようやく「出版社を経営する」ということの仕組みが理解できて参りました。ありがとうございます。おおむねこれに類する感じで、あたふたしたながら日々を乗り切っているわけですが、こんなわたしでもできるのだから、もっと新しい出版社が濫立して、不況だのなんだのと景気の悪い話はここらへんで打ち止めにしてほしいなあ、と思っています。
 
 また、本人はアルコールさえはいっていなければナイーヴにみえる、満47歳の偏屈なおっさんです。これからも謙虚に、地道に、ひたすら出版業を学んで参ります。どうぞ引き続きご指導いただければ幸いです。なお、くどいようですが、今回のエピソードはあくまでもフィクションです。

【追伸】 小社も流通代行をお願いしているトランスビューさんをはじめ、委託配本を行なわずに「注文出荷制」を敢行している23 社のおすすめタイトルを集めたフェアが、大阪梅田にある紀伊國屋書店グランフロント大阪店で開催されています。5月31日までですので、ぜひこの機会にお運びください!

* 詳細は Facebook のイベントページをご覧ください。

注文出荷制23社フェア
 

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