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「明治・大正・昭和の化粧文化」

ポーラ文化研究所は1976年の設立以来、美しさに関わる研究、なかでも「化粧文化」について人文・社会学など様々な角度から探究し、日本・欧米・アジア・アフリカなどグローバルな視点で調査研究に取り組んできました。またその成果は、出版物、調査レポート、セミナー、展覧会へと広く情報発信をしてきています。世界中から収集してきた資料性の高い化粧道具、装身具類は6500点、希少な古書を含む東西文献は15000冊を数えます。これらの文化資産の展示、検索、閲覧とそれに関するサービスを行っているのが、毎週水曜日に一般公開している施設「化粧文化情報センター」です。

7月に発行した「明治・大正・昭和の化粧文化~時代背景と化粧・美容の変遷」は、当研究所が所持する貴重な文献の中から「明治・大正・昭和の化粧文化」について編集・著したものです。
明治維新以降の化粧は、伝統的化粧から西洋文明の化粧を取り込み模倣し、日本人独自の化粧意識と融合をはかりながら、近代化の道を走るように進んできました。明治維新~昭和時代まで(西暦1868年~1989年)の121年間に大きく変化した化粧文化について、15期に分けて、各時代の政治・生活・文化・女性・服装・髪型・化粧/美容を詳しく解説しているものです。
明治大正昭和化粧文化

ベースメーク法の変遷 ~江戸時代から昭和20年代
化粧は、人類発生とともに始まったといわれるほど、長い歴史があります。文献に記述がみられるのは、中国の史書『魏志倭人伝』日本では『日本書記』『古事記』などからです。
大陸の文化を閉ざした遣唐使の廃止などによって国風文化が発達し、日本独自の化粧が発達していきました。白(白粉)、赤(紅)、黒(お歯黒)で彩る伝統化粧が完成したのが江戸時代です。
下の図版は江戸時代から大正時代まで版を重ねて出版されたベストセラー本『都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』(1813年刊)の白粉ページです。「色の白きは七難隠す」といわれたのもこの頃のことです。粉状の白粉を水で溶いて指や刷毛で延ばし、顔だけでなく、首、胸元まで塗っていました。
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「都風俗化粧伝」
白粉をする伝より
「溶いた白粉を額に少しつけ、指先でムラのないように延ばす……。白粉の溶き方が粗く、額、頬、鼻などはじめにつけておいて一気にのばそうとすると、白粉が乾いてしまい延びにくく、ツヤがなくなり、白粉が落ち着かない。」

明治維新による近代化、西洋の化粧・美容法が導入され、クリームを下地にぬり、粉白粉をはたくといった洋風のベースメークが浸透していきますが、江戸時代から長く使われ続けてきた白粉化粧は根強いものがありました。

当時流通していた鉛の入った白粉が人体への害があるとして、社会問題となり、鉛なしの白粉の研究がされ、明治33年に国産の「無鉛白粉」が完成しますが、鉛白粉は使用感が肌へのツキやノビが良いため、昭和初期まで使用されていたのです。

大正時代も後半になると、洋装が浸透しはじめ、和装か洋装かシーンや好みでファッションが選択されるようになります。同時に化粧もうす化粧、濃化粧、和風、洋風と使い分けられるようになっていきます。ベースメークも濃さ、質感をコントロールするために、錬白粉、水白粉、固煉白粉、粉白粉などと多様化、色数も増えていきました。

鉛白粉の有害認識につながる事件
~明治39年6月刊「風俗画報」341号より
「世の婦人や芸人などの用る鉛白の中に含む鉛の中毒の怖るべきものなることは、よく世人の口にする所なれど、それがどれ程に怖るべき結果を来すや云ふに、鉛白をよく用ふる俳優の女形や、鉛の活字を取り扱う活版職工などが重なるものなり、今其の例を挙げんに、中村芝翫は明治20年福助と名乗りし頃、井上伯邸にて展覧歌舞伎を演じたる時、突然左足が顫へ出だし、身體に異状を呈したれど、當時は何病なるや少しも分からず、其後度々顫出すゆえ松本順、橋本綱常、佐藤進、榊原次郎なんどの諸先生の診察を仰ぎ、漸く鉛毒に中りたるものと判断せしかば、此の時より鉛の入らぬ白粉の製造を始めた人ありしも、何分にも鉛が入らざれば附が悪く艶がなく色が悪く、舞臺を一幕仕舞って楽屋へ戻れば、さらに白粉を付け直しをしなければならぬという不便ある所より、毒はありとしりつつも鉛混入の白粉即ち鉛白を用ひ来りたるものにて、…」とある。

昭和に入り、自分らしく装う、個性を活かしたベースメークが推奨されるようになります。戦時中抑えられていたおしゃれの機運が戻り始めると、ベースメークは「光る化粧」が流行しました。「光る化粧」とは、下地にコールドクリームや植物油を塗り、その上に粉白粉やパンケーキなどを塗りました。下地の油分が粉白粉やパンケーキと調和し、自然なつやがでるという化粧でした。

昭和20年代、日本で始めて油性クリームファンデーションが登場します。昭和25年にはスティックタイプも登場し、肌に直接塗ることができる手軽さと携帯のしやすさからヒットしました。

以上、簡単にベースメークの変遷を記しましたが、ご興味のある方は、是非「化粧文化情報センター」へお立寄りください。

化粧文化情報センター
ミニ展示「ベースメーク法の変遷 ~江戸時代から昭和20年代」
展示期間 2016年5月11日~10月26日 平日水曜日オープン
http://www.po-holdings.co.jp/csr/culture/bunken/index.html

ポーラ文化研究所の本の一覧

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