訴えたい事柄
のんびり続けてきて、創業10年過ぎた!という頃、なにやら出版の基本かもしれないという企画が持ち上がりました。これまで同様「出したいから出す」ことには変わりないのですが、同じ「出したい」にもいろいろあります。何が違う(違うと自分では満足している)のか、書いてみようと思います。
わたしは他業種からの進出で、かつ「こういう本/ジャンルを出したい!」という志なしに出版業を始めました。しつこいようですが、そのあたりの顛末は『日本でいちばん小さな出版社』(晶文社)に書いたとおりです。始めの頃は何を出せばいいのか分からず、ただ、そのせいで脳みそ振り絞って考えた企画だったので自己満足度は高く、「いい本です!いい本です!」と無邪気に嫌いな営業も頑張りました。
その後、いろいろ学びながら「次の企画は…」ということを繰り返してきたのですが、アレコレ学ぶとそのアレコレがとてもよさげに見えます。思い出すだけでも、「手元に置いておきたい本がいい」とか「書店で売れやすいことを優先」とか「図書館ウケという考え方もある」とか「やっぱりいい本なら大丈夫」とか「マニュアル本には一定の需要がある」とか「潜在読者数が元々多いほうがいい」とか「いや、コアなほうが確実」とか「原価の抑え方」とか「値付けの仕方」とか、まあいろいろ試してきました。積極的に試したというより、ガチャガチャふらふらと影響を受けやすい性格のせいとも言えます。先輩方から何か伺うと、なるほど!と思って、それをうちでもトライしてみたくなってしまうのです。
昨年の5月頃、ある洋書の翻訳書が出ていないことに気づきました。どんな本でも、読んで気に入ると「こうだって、ああだって!」と話して回り「読んで読んで!」と勧めて回るのが常ですが、「英語読めない」という冷たい反応が悔しくて探しても、日本語版がみつからなかったんです。今思うとバカみたいですが、「くそ~!なんで誰も出さないんだ!」と、本気で怒ったり。で、ひと月ほど経って、ふと「あれ? あたし出版社じゃん。あたしが出せばいいんじゃないの?」と思ったわけです。バカですねー。バカも事実ですが、なんとなく翻訳書はよりコストがかかるので無理と思い込んでいたせいもあります(アレコレ学ぶ過程で得た知識)。
これまで、企画のスタートは自分の伝えたい内容だったり著者が伝えたい内容だったりで、かつ売れ行きを考えて途中でアプローチやら何やら修正しつつ本として仕上げることの繰り返しだったのですが、もう出ている本なので悩みゼロ!ただ訳すだけ! なんとか契約にたどり着いて翻訳作業に入ったとき、ああ、この悩みゼロの感覚って今までなかったなと気づきました。
商行為である出版業、まして社員を抱えた企業であれば、みんな多かれ少なかれ「アレコレ考えて」本を作っているわけだし、今回も少なくとも「日本の読者なら…」ということは考えています。でも拙著に「出版社の創業者は何か出したいテーマや訴えたい事柄があるからこそ起業するものだと思っていたからカルチャーショックだった」(『出版ニュース』書評)という感想をいただいて逆にカルチャーショックだった者としては、何はともあれ訴えたい事柄、大げさに言うと「1冊も売れなくても後悔しない」出版企画に巡り会えて、「ああ、基本の仲間入りかも!」と喜んでいるこの頃なのです。
『マスード – 伝説のアフガン司令官の素顔』(2014年4月刊行予定)。訴えたい事柄とは、「国を愛するとは、どういう気持ち&行為なのか」ということです。
版権エージェントを通さないで著者と直接やり取りした契約交渉や翻訳作業などについても、別の機会あるいは別の場で報告できたらなと思っています。
版権エージェントを通さないで著者と直接やり取りした契約交渉や翻訳作業などについても、別の機会あるいは別の場で報告できたらなと思っています。