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まさか自分が出版するとは

はじめまして。全甲社の高橋と申します。2012年9月に版元ドットコムに入会しました。
初めての投稿となりますので、出版の動機となった紙芝居のことと近況をお伝えしたいと思います。

 私と紙芝居との出会いは2007年の夏、高橋五山の紙芝居企画展が群馬の土屋文明記念文学館で開かれたことがきっかけでした。それまでは恥ずかしながら、五山の作品やその仕事になんら関心を持たずに過ごしておりました。企画展を通じて、五山が紙芝居界に果たした役割やその作品を知り、さらに学芸員の方の助言や遺族が私ども家族のみとなってしまったこともあって、五山の足跡調査をしようと決心した次第です。調査の中で歴史に埋もれていた『ふしぎの国アリス物語』『ピーター兎』などの草創期の貴重な紙芝居を掘り起こす事ができ、『図説翻訳文学総合事典第5巻:日本における翻訳文学(研究編)』(2009.11 ナダ出版センター)に載せてもらうことが叶いました。
 1935(昭和10)年、今の紙芝居の原点となる紙芝居を出版した時の様子を、高橋五山は次のように述べています。

「私は迷った。紙芝居は出版物、即ち文書図書だろうか、それとも玩具に類するものじゃなかろうかとね。けれど、内務省は届を受理してくれたので一応出版物と認めたのである。ところが、後に諸物資が不自由になって出版用紙も割りあて制となると、これは製本していないから書籍じゃないと因縁をつけられて、用紙の配給から締出しをくうようになってしまった。」

 私はやっと探し当てた紙芝居がこれ以上破損してしまわないうちに復刻したいと願って出版社と検討を重ねましたが、なかなか実現には至りませんでした。そこで2011年1月に高橋五山が経営していた出版社「全甲社」の名前を用いて自ら出版に踏み切りました。どんな方法で普及させるか全く考えず、作品を復刻することだけに気持ちが向いていたため、出来上がった商品の山を見て青ざめました。運良く、朝日新聞が全国版の記事に取り上げてくれたのが救いでした。こんな感じでささやかな出版活動ですが、つぎは紙芝居復刻シリーズ5巻目となる『あかんぼじいさん』(初版1953)を3月15日に刊行します。昔話『若返りの水』を紙芝居に仕立てたもので、五山作『あかんぼばあさん』(初版1940)もあります。『あかんぼじいさん』は一層欲深さが強調された笑い話になっていて誰でも楽しく演じられる作品です。皆さんも日本独自の文化と言われている紙芝居を活用してみませんか。

■今年は、静岡福祉大学附属図書館にて高橋五山の企画展が予定されています。
http://www.suw.ac.jp/link/library/
■焼津には小泉八雲記念館もありますので観光がてらぜひ覗いてみてください。
http://www.city.yaizu.lg.jp/yaizu-yakumo/

■復興記念館にて
 全甲社では、関東大震災の『復刻写真集大正大震災号 高橋五山編』を昨年12月に刊行しました。東京新聞夕刊一面(1/11)と中日新聞朝刊(1/13)で紹介され、読者の方から電話や手紙をいただきました。その中の一人の男性と復興記念館でお会いすることになり、お父様が遺された『本土空襲記録』と題する手作りの本を見せてもらいました。マリアナ基地B29の新聞記事を集めて一冊の本にしたもので、亡き人の熱い思いが込められているように感じました。

3月10日は東京大空襲があった日です。東京の下町一帯はB29の空襲を受け約10万人の人々が亡くなりました。両国国技館近くには横網町公園がありますが、この公園の歴史は関東大震災・東京大空襲と深く関わっていて東京都慰霊堂と復興記念館があり、歴史を語る資料も所蔵されています。実際に身近にあった出来事として過去の歴史をふり返ってみてはいかがでしょうか。

■紙芝居のルーツ
 最後に、紙芝居のルーツについて簡単に触れておきます。紙芝居は日本独自の文化といわれています。そのルーツは、「絵解き」「絵巻」「奈良絵本」「のぞきからくり」「写し絵」「立絵」といった中にあります。「立絵」は人形芝居にヒントを得て、竹のくしを付けた紙人形を舞台で動かして街頭などで演じるもので、この紙人形芝居から「紙芝居」という名称が生まれたといわれています。昭和に入って、「立絵」に対して「平絵」とよばれる現在の紙芝居形式の作品が生まれ、『魔法の御殿』(1930)という作品が平絵紙芝居の最初の作品といわれています。「平絵」は「紙芝居」として現在に残り、「立絵」は時流から外れていきました。街頭で子どもたちに飴を売って見せたものは「街頭紙芝居」とよばれ、貸元が紙芝居屋に原画を順番に貸し出すシステムをとっていました。紙芝居史上有名な『黄金バット』(1930)が創出され、紙芝居は子どもたちの娯楽の中心となっていきますが、刺激の強い残虐なストーリーが盛んにつくられ、世間の批判を浴びるようになりました。
 その一方で、紙芝居を教育的な分野に生かそうという人たちが現れました。今井よねのキリスト教紙芝居(1933)、高橋五山が全甲社から刊行した幼稚園紙芝居(1935)や仏教紙芝居(1936)、松永健哉らの日本教育紙芝居協会(1938)の設立といった動きがありました。この「教育紙芝居」という呼び名は、街頭紙芝居に対して「教育的な利用を目的とする紙芝居」という意味合いを持ち、印刷されて活用されたので「印刷紙芝居」とも呼ばれる場合がありますが、その後、街頭紙芝居の人たちも印刷紙芝居を手がけたため、その定義は曖昧です。まだ色々と変遷はありますが、長くなりましたので割愛いたします。
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 調査・研究・編集・出版などなど、一人でやっていると孤独感に苛まれ、めげそうになることもありますが、版元ドットコムの会員になったことで精神的にも救われております。
 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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