自由だ 自由だ 自由だ ホイ
夜景には哀愁がつきまといます。新宿南口、ビルの19階を占めるホテル、小田急センチュリーサザンタワーのトイレ、東側の壁は全面ガラス張りで、ここからの眺望はJRの線路をはさんで正面に高島屋と紀伊国屋、中空からパノラマをみるようなスリリングな絶景です。無料で非日常感覚を楽しめます。ただあまり長いこと哀愁に浸ってははいられませんが。
イギリス・ヴィクトリア朝の詩人で音楽家でかなり風変わりな画家にエドワード・リアがいます。21人兄弟の20番目だそうです。リアが生まれたときには両親には子どもに注ぐ愛情はもう出し尽くしていたようです。だからリアは愛情の井戸を自分でほらなければならなかったのでしょう。ふくろう2羽、めんどり1羽、ひばりが4羽、ミソサザイ1羽が男のひげに住みついているまさに非日常で愉快なあの絵には、あふれるほどの愛情を感じます。
そのリアのジャンブリーという詩はこんな風に始まります。
ふるいに乗って 船出をしたよ
ふるいで船出だ
みんながとめたが ききいれもせず
冬の朝 嵐吹く日
ふるいに乗って 船出をしたよ!
この詩は、年長の友人、内藤里永子さんの著書で、わたしの大好きな本、『イギリス童謡の星座』(大日本図書)に入っているものです。詩の翻訳は内藤さんの友人で故人となられた吉田映子さんによります。
この詩を「わたしのことだ」とうけとめた方もいらっしゃいますよね。わたしも、リアが時空を超えてやってきて、隣に座ったような親近感を感じます。
ジャンブリーは、はるかはるかのちょぼちょぼ島にゆきついて、暮らしているようです。たぶんゆったりと、暮らしを楽しんでいるのでしょう。
指あみの本をつくりました。『指ねじりあみ*ぐん手編』(40頁 フルカラー 定価780円+税)。自分で何かをつくりあげることは心ときめくことです。
わたしたちの暮らしから、便利さと引き換えにつくることが消えてゆき、昔の遊びも消えてゆき生活は空虚になりました。
著者の山本紀久子さんは、30年前から小学校で指あみを子どもたちに教えています。それは達成感をこどもたちに味わってほしいからと著者は言います。一つのことができたということが、どんなに子どもの自信につながり、喜びにつながることか。
大人だって同じです。吉祥寺の「ゆざわや」に走って毛足の長いモヘアでわたしもマフラーをつくってみました。ささやかなワクワク、を味わいました。あこがれていた指あみを自分でできたという達成感にわたしも浸りました。
病んだ大人の世界の話に戻ります。昨年秋にだした『DVあなた自身を抱きしめて—アメリカの被害者・加害者プログラムから』の著者山口のり子さんが開設した「JABIP—やさしい関係づくり舎」(名称はまだ仮ということ)の加害者プログラムのことがNHKテレビの夕方6時半の首都圏ネットワークでとりあげられます。3月上旬ですが、日にちは未定です。
この本がだしているメッセージは、DVという関係におちこんでしまった人だけにではありません。わたし自身に示唆となりました。
「あなたのあるがままの気持ちを大切にしていくこと」、そして「I=アイ(わたしであり、愛であり)メッセージ」を発信していくことが関係性を育てていくということ。相手を悪いと責めるのではなく、善悪のことではなく、わたしの気持ちを相手に伝えていくことが、とてもたいせつなことでした。
さて、ふるいの船もきわまってきました。シリーズ・教科書に書かれなかった戦争・パート37を昨年暮れに出しました。『ぼくたちは10歳から大人だった— オランダ人少年抑留と日本文化』(ハンス・ラウレンツ・ズヴィッツァー著 定価5000円+税)です。第2次世界大戦時、インドネシアを占領した日本のオランダ人抑留の問題です。いつの時代も弱いものに過酷な仕打ちが加えられるのはわたしたちが見てきたとおりです。そして弱者に加えられた仕打ちは、埋もれたまま歴史の狭間に消されていきます。
それでも、こんなふうに問題を投げかける人もいるでしょう。—じゃー、オランダは自国のインドネシア支配についてはどう清算してきたの? 世界植民地主義の問題についてわたしはまだ片がついてはいないとおもいます。彼らは戦勝国として、清算のチャンスを奪われたまま戦後世界に君臨しつづけているということです。
そしてまた当時の少年たちが、オランダの植民地支配をどう考えるか、責任をどうとれるか。それは、日本でわたしたち戦後世代が抱えている問題と同質の問題です。世界が戦争による傷を負いながら、その暴力のトラウマをいまだにひきずって生きていて、しかもまた新しい暴力=ブッシュの戦争に突入している。そして小泉さんは日本国民を人身御供としてブッシュにさしだそうとしているようです。3月には、「有事立法」が国会に提出されようとしています。
この「有事立法」という名の「戦時立法」は、なけなしのわたしたちの自由をどうやら根こそぎさらっていくもののようです。
なによりも大切な自由。
冒頭に紹介させていただいた本の中にはもちろんシェイクスピアもでてきます。大文豪の最後の戯曲といわれるテンペストのなかで悪魔のキャリバンの歌う歌は、ねじくれた歓喜の歌ですが、麻薬のように(多分そうだろうと想像です)身も心も解き放してくれます。囚われているわたしを感じたとき、ふと思い出して口にすると、溶けるような甘美さがみちてきて、こころが宙に染み出していくようになるのはなぜでしょう。
冒頭に紹介した本の中からとらせていただいて最後の2行を、シェイクスピアがなんと言うかしりませんが、内藤里永子さんと吉田映子さんには許しをお願いして、あなたにもプレゼントします。
「 生まれ変わって まきなおし
自由だ ホイホイ 自由だ 自由だ 自由だ ホイホイ」