版元ドットコム

探せる、使える、本の情報

文芸 新書 社会一般 資格・試験 ビジネス スポーツ・健康 趣味・実用 ゲーム 芸能・タレント テレビ・映画化 芸術 哲学・宗教 歴史・地理 社会科学 教育 自然科学 医学 工業・工学 コンピュータ 語学・辞事典 学参 児童図書 ヤングアダルト 全集 文庫 コミック文庫 コミックス(欠番扱) コミックス(雑誌扱) コミックス(書籍) コミックス(廉価版) ムック 雑誌 増刊 別冊

子どもの頃、いつの間にか君の手を握りしめ、僕らは友だちになった。

 いま、紙芝居が大ブーム……。そこまで言えなくとも言えるようになることを目指しながら、4年前からこつこつと紙芝居を刊行しています。そこそこ売れています……。いやそうまで言えなくともけっこう評判がいいという感触はあります。ではどこで評判がいいのかというと、小学校の教材など子ども向けの市場ではありません。私たち雲母書房は介護関連の書籍を中心に刊行していますが、その高齢者に向けた介護現場のレクリエーションツールとして、そこそこ評判がいいみたいなのです。
 いまのお年寄りはむかし、ねり飴代を入場料代わりに払いその飴をなめながら街頭紙芝居に夢中になった世代です。しかしそのことだけが介護現場で紙芝居がウケている理由なのではありません。4年間で12点、高齢者向け紙芝居、介護現場向け紙芝居を刊行することができた背景には、ひとえに監修者を引き受けてくださった遠山昭雄さんの尽力のお陰があります。いまは退職されていますが遠山昭雄さんはかって勤めていた介護施設において、10年近くレクリエーションの時間に紙芝居を実演されてこられました。もちろん、介護向け、高齢者向けの印刷紙芝居などありませんでしたから、子ども向けに出版されている紙芝居や手づくりの紙芝居を使って、どんな紙芝居がお年寄りにウケるのかウケないのか、季節や行事を考慮しながら、ノウハウを積み重ねてこられました。
 その代表的な作品が『みいちゃんの春』『みいちゃんの夏』『みいちゃんの秋』『みいちゃんの冬』という「みいちゃんシリーズ」の紙芝居です。この作品を手がけてくださった作者のピーマンみもとさんも認知症のお年寄りのいるデイサービスで長年、紙芝居を実演されてこられました。

 ところで、紙芝居は大きく分けてストーリー型と参加型の紙芝居があります。ストーリー型とは物語性を重視した紙芝居で、演じ手が観客に向けて演じる一般的な紙芝居です。参加型とは(あらすじがあるものもありますが)、演じ手が紙芝居を演じながら観客と一緒に歌を歌ったり、クイズをしたりと、観客と一緒になって遊ぶ紙芝居のことです。
 この「みいちゃんシリーズ」は参加型紙芝居であり、季節ごとの童謡を一緒に歌ったり、季節にちなんだクイズや話題をお年寄りにふりながら遊ぶ紙芝居です。
 とくに認知症のお年寄りの多い介護施設では、物語性のある紙芝居ではなかなか集中力が続かずすぐにあきられてしまう傾向があるようで、こうした参加型の紙芝居がみなで一緒に遊べおもしろく紙芝居を堪能できるということで、好評へと繋がりました。
 もちろん、尾崎紅葉原作の新作『金色夜叉』(作者・サワジロウ)も、ストーリー性のある紙芝居ではありますが、一般のお年寄りには大ウケです。貫一がお宮を突き飛ばす場面もさることながら、お互いの名台詞もお涙頂戴拍手喝采です。しまいには誰ともなく「熱海の海岸散歩する〜」「ダイヤモンドに目がくれて〜 乗ってはならぬ玉の輿〜」と唱いだすこともあるそうです。

 ついでに紙芝居のうんちくをお話ししてみましょう。紙芝居には「舞台」と呼ばれる紙芝居を入れる木の枠があります。この舞台を使わずに演じることも可能ですが、それだけでは紙芝居の魅力が半減してしまいます。紙芝居には「半分ぬく」「少しぬく」「さっとぬく」「ゆっくりぬく」「絵を揺らす」といった演じ方がいくつかあります。それは「場面転換」「間」「動き」といったことを表現するためのものですが、そのことは紙芝居の舞台があってこそ活きてきます。
 また、木の枠を舞台と言いましたが、それは歌舞伎やお芝居での舞台と同様のことを意味しています。つまり、紙芝居とはこの小さな舞台を使ったお芝居であるということです。紙芝居をやる人のことを、「読み手」「語り手」ではなく「演じ手」ということはそういうことであり、まさに演じることが紙芝居の醍醐味なわけです。この芝居の要素があるからこそ、介護現場の介護職の方々におもしろがっていただいているといえるでしょう。
 ちなみに紙芝居の世界では、どちらかといえば紙芝居の「紙(=作品)」を重んじる方々と、紙芝居の「芝居」を重んじる方々がいるそうです。一概には言えませんが、関西は「芝居」、関東は「紙(=作品)」とおっしゃる方もいます。
 さて、紙芝居の魅力を一言でいうならば「場の力」だと私は思います。つまり、作品、演じ手、観客がそろって初めて、一つの感動が共有でき、そのいずれかでも欠ければ紙芝居は成立しません。
 そこが紙芝居出版の難しいところであり、おもしろさであると言えるでしょう。「良い紙芝居を出版した」……。それだけでは、購買の動機にはつながりません。「おもしろそうだけれども、この紙芝居は私でも演じられるだろうか」「演じてみて、観客に喜んでもらえるだろうか」。そうした判断があってこそ、購入へと結びつきます。
 絵本や本のように、自分のためだけに購入できるものではない難しさ、その困難さが4年間の紙芝居刊行を支え、そしてこれからも「いま、紙芝居が大ブーム!」を希望しつつ、継続の力となっているような気がしています。

 余談ですが、紙芝居も絵本や書籍同様に、表現者としての絵と脚本の作者(著作権者)がいます。ところで紙芝居はニューメディア商品なのだそうです。なにがどこがどの部分をさしてニューなのかわかりませんが、おそらく「綴じられていない」というところが、印刷される表現としてニューなのかもしれません。

雲母書房 紙芝居企画・編集担当 松村康貴

雲母書房 の本一覧

このエントリーをはてなブックマークに>追加