ウソツキ
「オオカミがきた」とウソばかりついていた少年Aが、ある日
「ボクはウソツキだ」
と言いました。それを聞いた村人PとQの会話。
P「ハハハ、なにをいまさら」
Q「いや、ほんと、ばかばかしい」
P「Aもけっこう正直だね」
Q「ン? まてよ。Aが正直者だとすると、Aの言う『ボクはウソツキだ』は本当のことを言っているのだから、Aはウソツキになる」
P「なるほど。逆にAがウソツキだとすると、『ボクはウソツキだ』はウソだから、Aはウソツキでないことになる……つまり正直者になる。どうなってんの?」
Q「なんだか笑えなくなってきたね」
これが「ウソツキのパラドックス」といわれる昔から有名な問題。ひょっとして、我々の論理・思考・認識に決定的な欠陥があるのではないだろうか。
このパラドックスを解決すべく、天才・秀才たちがさまざまな工夫と説得を重ねてきた。その筋道を紹介したのが、小社の新刊『うそつきのパラドックス』(山岡悦郎著、本体1800円)。結構評判がよく、しかも余得として「今まで馴染みのなかった英米の哲学者の仕事が身近に」(毎日新聞・左近司祥子氏書評)なってくる。著者も、「このパラドックスは簡単に入り込めて、しかもパズルのように楽しむことができる」という。
(しかし、著者はウソツキかもしれない)
「ウソツキ」は、経済・社会的にもロスが大きいです。
先日メールが来て、「コンピュータ・ウイルスに感染しているかどうか、調べるように。システムの中にこれこれのデータがあれば、それはウイルスだから消すように」、というものでした。たしかに言われた通りの怪しげなものがみつかり、びっくりして、いそいで捨てました。ところがそれはニセの情報で、コンピュータのシステムに必要なデータを消すことになりました。ウイルスなしでウイルスなみの情報を伝達できるのには、感心してしまいました。
食品(牛肉)のラベルはもともとちょっと怪しいと思っていましたが、遺跡の発掘にまで疑わねばならないこのごろです。「まさかそこまでしないだろう」と信じていた時代は過ぎ去ったようです。
論理的にも経済・社会的にも「ウソツキ」は大問題です。それを克服する英雄が待たれています。