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青く悲しい空

土曜日、地震があって以来初めて休日らしく休日を過ごした。

昼過ぎに家を出て電車に乗る。向かいの人の背後には、不思議なくらいに濃い青色をした晩冬の空。三人家族の笑顔。会話を聞いていると、どうやら来年から息子は東京の大学に通うらしかった。アパートを探しに来たんだろうか。

図書館のある駅で降りる。雀や猫。図書館のある公園にはたくさんの親子連れ。
以前と変わらない日常の光景。なのに穏やかな悲しさが漂う休日だった。

地震の直後、刻々と悪化する原子力発電所の事故による混乱の中、「東京の人はできるだけ日常に戻ろう」という声があった。
原発爆発、というニュースは衝撃的だった。
福島県から200㎞離れた東京の人々の間にも、日常生活を一時中断して出来るだけ福島から離れ、遠くに避難しようと考えるうごきが強まった。
都市機能が失われたら、東京の人は福島の人、東北の人を支えることが出来なくなってしまうではないか―そう考えた人々が、冷静に日常に戻ることを呼びかけたのだった。

大気中にどんどん撒き散らされる放射能。「大丈夫」(のちに「ただちに健康に影響はない」に取って代わったが)と繰り返す記者会見。
とてつもない危険と、とてつもない不条理が地続きの場所で進行していることは、明らかだった。
途方もない、恐怖としか呼びようのない物からわざと注意を逸らして考えないようにし、平静を装い、平気だと自分に言い聞かせることで、私はようやく日常に戻った。

激震地に住まう人々の苦労を考えると、地震の直後からその気になれば日常に戻ることが出来た私たち東京の人間の多くは、我が身の境遇に感謝しなければならない立場だと思う。
でも、理不尽から目を逸らし、あえて戻らなければならない日常って、何なのか。
それは日常、と呼べるのか。

そんなとき脳裏に浮かんだのは、ひとりのダブトランペッターの言葉についてだった。
こだま和文氏は、酔っ払った体に沁みる味噌汁の味、郷里の新米を使って料理をすること、帽子を落とした話、等を昨年出版したエッセイ集『空をあおいで』の中で綴っている。
なぜ、これほどまでに身近な日常について、淡々と言葉を紡ぐのか。およそ一年前、そう問われたこだま氏は、こんな事を書くよりももっと大きな問題について語らなければと思うことがある、と話していた。

こだま:「本当は世界中で起きているニュースをちょっと見れば、自分では捉えようもない、どう対応していいかわからない、ずーっと続いていく、いろんな出来事がありますよね。それについて書ければいいんだけど、なかなか書けないんですよね。」
「でも、自分の暮らしの中で自分が見てることは、書けることなんですよね。」
                  (「明日来る明日の話、を書く」より抜粋。)

味噌汁を作り、米を研ぎ、落とした帽子を探しに行く。そんなささいな日常は、こだま氏の中で、地球上で起こり続けている途方もない不条理ともともと地続きなのだった。こだま氏はいつも向こう側に広がる非日常を見据えていた。

だから『空をあおいで』で描かれる日常は物悲しい。
私がそう気づいたのは、世界がすっかり変わってしまってからの事だった。

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 ”KIYEV NO SORA(20YEARS SINCE CHORNOBYL)”/KODAMA AND THE DUB STATION BAND

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