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「東京都青少年健全育成条例改正」、とりあえず「継続審議」になる。

 3月19日の東京都議会総務委員会において、2月24日に提出されていた「東京都青少年健全育成条例改正案」が、継続審議になった。民主党ほかの野党勢力が、自民・公明の賛成組を審議不足を理由に押し切った形だ。もちろん継続審議というからには、当然6月もしくは9月都議会に再び提出されることは間違いない。
 この法案は、いままで実写モノを規制対象としていた「児童ポルノ」をマンガ、アニメ、ゲーム(条例案では登場人物を「非実在青少年」という造語で表現している)にまで拡げようとするもので、同時に国のレベルで何度も何度も話題になりながら日の目をみていない、「児童ポルノ法」の「単純所持規制」をも先取りしようという条例の改悪である。まさに国の露払いである。先日橋下知事が大阪府でも検討したいと述べたように、東京で規制が始まるとあっという間に全国に伝播していくのだ。
 この条例の改悪については、当初反対勢力(主にマンガ家、出版社)の動きが鈍く、都議会通過は必至と言われていたが、3月初めあたりからマンガ家や出版評論家を中心に運動の輪が拡がり始め、出版社やマスコミ、そしてコミック読者を多数巻き込んで大きなうねりとなっていった。そうした反対運動が頂点に達したのが、3月15日都議会議事堂第二会議室で開催された緊急集会であった(「東京都青少年健全育成条例改正を考える会」主催、「コンテンツ文化研究会」協力)。100名の会場に恐らく300~400人が詰めかけ、今回の都条例改悪への関心の高さ、憤りの強さを感じた。
 呼びかけ団体の代表者である藤本由香里氏(評論家 明治大学国際日本学部准教授)、呉智英氏、里中満智子氏、永井豪氏、竹宮恵子氏 ほか出版関係、コミック関係の人たち十数人が壇上に揃い、山口貴士弁護士の司会のもと始まった(ちばてつや氏は記者会見までで集会には不参加)。
 壇上の各氏が5~10分それぞれの立場からの、この条例改悪に対する批判、反対意見を述べたが、それは凡そ二つの反対論に分けられるのではないかと思った。その1は藤本氏に代表される見方である。表現の規制はそもそも性犯罪の防止には役に立たないとする。韓国の例などもあげて、逆に人口に対する性犯罪の発生率は規制の強い国ほど高いという。自主規制も含めてその無意味さを論の核心としている。
 一方、呉氏などは、性犯罪とポルノの氾濫は無関係ではないとしながらも 、文化論的には行政・政治が芸術、文化に介入、規制することは、文化全体が萎縮する恐れがあるとして反対の立場をとる。したがって、教育的な意味で (都が)「青少年の健全な性意識を育成することには異議を唱えない」という。
 どちらも今回の都条例改悪には絶対反対の立場であることには変わりない。 こういう政治の側からくる規制、圧力に対抗するには、立場の違いを乗り越えた共同の場が必要である。集会に民主党都議会議員も数人かけつけていたが、民主党としては反対に一枚岩でないようなので、廃案になるかどうかは微妙な情勢らしいとの報告があった。ただ、この1週間の漫画家を中心とするコミック関係者、読者、出版関係者らの急速な関心の高まりと動きの高揚は反対運動を押し広げ、とりあえずの「継続審議」に大きな力になったことは間違いない。これからも気は抜けないが、議員への働きかけや世論の拡大に向けた取り組みは廃案になるまで続けようと思う。
 わたしのこの問題へのスタンスは藤本氏に近い、と思う。犯罪、性犯罪への入り口はそういう本や映像に接したからではなく、もっと別な要因、契機があると思っている。例えば、心を許しあえる友人や 信頼関係ができている家族関係がある個人は、その人たちの信頼や友情を裏切らないためにも一定の自制心を自分に課す。彼らを愛するが故に、彼らとともにありたいと願うこころが、自分を高めようとする心地よい欲望を生み出すのである。そういう自分に関わるしがらみが希薄になればなるほど、人間は己を律する術を失い、結果的に犯罪の門に近づくのではないか。
 また、人間が成長しようとするそのプロセスに人畜無害なものばかり与えているわけにはいかない。どんなに隠そうとも存在すればいつかその子の眼に入るのだ。むしろ、正も邪も、清も濁も、美も醜も与え、その子のこころの中の坩堝で混ぜ、取捨させるのだ。判断力とか創造力はそういう自己と取り巻く空間との厳しい対決の中から生まれるものではないか。人のこころの成長や人格的、人間的成長を政治や行政が手助けしようなどと、おこがましいことを考えてはいけない、ほっといた方がはるかに当たり前のヒューマニティを身につけるものである。尤も、彼らは手助けという甘い言葉を使いながらコトロールしようとしているだけなのだが。
 一言付言しておくが、だからと言って、児童ポルノをどんどん作らせろと言ってるわけではない。むしろそういう制作現場での違法性は厳しく裁いてほしいと思っている。ただ(作らせないための)違法性の捏造、でっち上げだけはご免蒙りたいが。

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