沖縄・高江、やんばるの森から
――梨の木舎・25年の集会をします。
現在とは、過去の記憶と未来の希望の間にあって…
今年の夏、さいたま9条連の秋山淳子さんがコーディネートした沖縄のツアーに参加しました。さそってくださったのは、国立市議の上村和子さんです。
23人の旅でした。読谷では、知花昌一さんがチビチリガマを案内してくれました。長い粘り強いたたかいをつづける辺野古も訪ねることができました。美しい海をみながら浦島悦子さんの話をききました。『辺野古――海のたたかい』(インパクト出版会)はそのとき買いました。「2008.7.6」とサインがあります。
さらに沖縄本島を小1時間北上します。そこにやんばる(山原)の森があり、世界でも有数な動植物種を誇る大自然です。
高江の最高地点に案内され、やんばるの森を一望して、息をのみました。こんもりとした緑を、細い白い枝がささえるイタジイの森が、えんえんとはるか彼方にまで続くのです。見渡す限りの「ブロッコリーの森」でした。
ブロッコリーの森と名づけたのはアメリカ兵のようです。
この美しい森のほとんどは米軍基地で、ここはジャングル型訓練施設になっています。アメリカ軍の海兵隊員がナイフ1本だけを身につけ、30日間を生き残るサバイバルの訓練がおこなわれているのです。この美しい森のなかで若いアメリカ兵がうごめいている――生命の賛歌のようなこの森と殺人訓練の森というギャップ。
ここから、若い兵士たちがベトナム戦争のために、いまはイラク戦争のために鍛えられ送り出されていくのです。今年になってわかったことは、ベトナム戦争時の枯葉作戦のダイオキシンがここでも積み込まれたということです。ダイオキシン積み込み作業に従事したというもとアメリカ兵の証言によって裁判で明らかにされました。
高江にさらにヘリパッドが増設されようとしています。同じャンバルの隣接した、国頭村にある基地が一部返還され、返還予定の敷地にあったヘリパッドを高江地区に持ってこようということなのです。しかも、ヘリパッド増設を認めないと基地の一部返還もないというのです。
高江の住民たちは、「ヘリパッドはいらない」と去年の7月から座り込みをつづけています。ヘリコプターの騒音と危険は、平穏な生活を奪います。ヘリパッド増設の調査を座り込みによってボイコットしつづけているのです。
―-日本は、わたしたちは、すでに参戦している。9条はあるけれど。片足を戦争に漬けながら、「平穏な」日常生活を送っている。ブロッコリーの森をみて、この動かしがたい事実に気がつきました。気がつかない振りをしてきたのかもしれません。
梨の木舎は、今年25年を迎えます。
今月11月の22日(土)記念の会は、「暮らしの隣ですすむ軍事化」として、集会をもち、基地問題をとりあげます。司会は上村和子さんです。
東京ではほとんど知られていない、高江の現実をきちんとききたいとおもいます。高江の現実をすこしだけみた私は、みていない人たちに伝えたいとおもいます。
高江から、石原理絵さんにきていただきます。4人の子どもたちと高江で暮らしています。会場は東京御茶ノ水の総評会館で、午後13時半から5時までです。
練馬からは、竹見智恵子さん、横須賀からは木元茂夫さんが報告してくれます。DVDの上映もあります。どうぞ、ふるって参加してください。(詳しくは梨の木舎のホームページで。http://www.jca.apc.org/nashinoki-sha/)
梨の木舎は「戦争」をテーマにして、仕事をしてきました。
「現在とは、過去の記憶と未来の希望の間にあって揺れる運命をささえる支点のことだ」(池澤夏樹『ベルリン――〈記憶の場所〉を辿る旅』昭和堂 2006年)
未来は過去にかかっています。
それは、悲惨な歴史を知ることではありますけれど、「未来を築くこと」だという希望にささえられています。
未来につながる歴史には、人々の大いなる好奇心が生まれます。世界を知りたいと思う好奇心が、明日の歴史を生み、芸術を生み、暮らしをつくっていきます。
今年の8月8日――1988年8月8日の民主化運動の日から20年を記念して、『負けるな!在日ビルマ人』(田辺寿夫著)をだしました。
読んでくださった大津典子さんからお電話をいただきました。夫同士がオックスフォード大学時代の同級生で、アウンサン・スーチーと姉妹のような間柄でいらっしゃるということです。ビルマのいまを懸念し、本の出版を喜んでくださいました。
新刊をだしたとき、「梨の花一輪」という小さな紙片をはさみこむことにしています。それをおしえていただいたのは、内藤里永子さんです。ターシャ・チューダーの翻訳をメディアファクトリーから出していらっしゃいます。
「とてもすてきな本をだしていらっしゃるわね。本のなかにあなたのメッセージをきれいなちいさい紙に書いて入れるといいわよ」とアドバイスをくださった。
それから、梨の花一輪が梨の木舎の本にはさみこまれる。大津典子さんは、小さな栞を読んでくださっていた。
電話でお話し、「彦根にいらしてください」と言っていただき、その後自著が送られてきた。
『乳がんは女たちをつなぐ―京都から世界へ』(藤原書店)である。
ご自身の乳がんの体験から、がんをつうじての女性たちのネットワーキングが語られていた。未来をつくる人にまた会うことができた。彦根にいつか会いにいこう。