いまどきの取次って、こうなんだ
一瞬、キツネにつままれたような気になった。次いで、土石流のような憤りが噴き出した。
取次がそんなことを言うようになってしまったのか……
先週、恒例の出版社十数社と取次数社で行う夏季交流会という名目の飲み会があった。
毎年出版社側は一社一~二名、各大手取次からひとりないし数名出席している。ことしも出版社側は例年通りのメンバーだったし私もいつも通り出席するつもりだったのだが、事前に某大手取次がごね始めた。
「あんな『テロ死/戦争死』のような本を出版している版元と同席する飲み会は、出席を見合わせたい」と欠席の意向を示したというのである。
あんな本を出している版元とは、私のところの第三書館である。
この本は一昨年秋に刊行された時、この版元日誌にも書いたが、大手取次の何社かに委託拒否の扱いを受けた。イラク戦争下で死んだり殺されたりした人たちのドキュメンタリ写真集で、板垣雄三東大名誉教授や酒井啓子東京外大教授のコメントをつけて、イラク戦争の現状に疑義を呈した本である。パブラインによれば紀伊国屋でも100冊近く売れていて、まず小社としてはフツーに動いているほうだ。
ところが、取次がこの本のタイトルを名指しして、その本を出していることを理由に、十年以上続いている恒例行事への会社としての参加を拒否している。刊行翌年の去年夏は何も言わずに出席して、今年の拒否である。
わたしは自身の憤りの噴出をごく自然なものと感じていた。ところが、周囲の反応は必ずしも、そうではない。取次様の気を悪くさせたのはまずかったとか、版元側の配慮が足りなかったとする空気が少なくない。なかには、こういう取次サイドから反発を受けるような本を出すのはいかがなものか、とまで言い出す出版社があって、これには別の驚きを感じた。
恒例飲み会の主催者である出版社グループからそうした反応が出てくるのだから、出版界の空気は変わってしまったということなのだろう。いまの出版界がこうなんだから、いまの取次ってこうなんだ、と飲み込んでしまえということか。
とはいえ、わたしは今も、出版社と取次は言論表現の自由を維持体現して行く上で対等平等の関係にあると思っている。出版流通上の力関係の変化を過小評価するものではないが、それを根拠に版元の立場を安易に譲るのは、自殺行為にほかならない。
飲み会には、主催者側の説得が奏功して、かの取次も例年通り出席した。
と書いたところで、また新事態が出来したのだが、まだ今日も進行中なので、一区切りついた処でご報告したい。