アメリカは日本のお手本?
暦の上では、立秋、処暑も過ぎ、白露さえ目前、まさに秋の真っ只中のはずだが、年々暑くなる気候にまだまだ夏気分。とはいうものの、夜風は、少しずつ冷気を含みはじめ、秋の虫たちの合唱もますます盛大さをまして聞こえるようになってきた。
海鳴社の夏を飾ったすだれや風鈴、そして、めだかの水槽もそろそろ秋色に衣替えする時期かもしれない。季節ごとにささやかな風物詩をもつ日本文化は素晴らしいと、今さらながら最近は日本の良さ再発見に余念がない。
私が子どもだった頃、テレビや映画を通して見るアメリカは、理想の国のひとつだった。豊かな商品に囲まれた憧れの生活がそこにあるように思えた。たぶん、今でも、映画やドラマの中のアメリカには夢と希望が限りなく詰まっているに違いない。
だけど、視点をほんの少しずらして見ると全く違った姿が見えてくる。
今年度のJCJ(日本ジャーナリスト会議)新人賞を受賞した『報道が教えてくれない アメリカ弱者革命』は、もうひとつのアメリカの姿を鮮やかに浮き上がらせる。世界で最も豊かな国の中で、貧困に喘ぎ、貧困から逃れるために、自身の未来を賭けて戦場に行かざるをえない多くの若者の姿に、「一億総中流」と言われた時代から「格差社会」「勝ち組・負け組」「下流社会」なんて耳触りの悪い言葉が飛び交うようになった日本の悪しき近未来図を重ねてしまうのは、私だけなのだろうか。もちろん、移民社会であり、多種多様な人種が混在するアメリカと日本では有り様は違う。しかし、親の背を見て子が育つように、戦後ずっと、アメリカを追い続けた日本がアメリカのマイナス面をも受け継ぐ可能性だってゼロじゃないって不安になる。
「日本って世界で一番安全な国だって聞いたよ」最近知り合った某国の少年が無邪気に私にそう話した。そう、安全ってお金で買えるものじゃないよね。たぶん、みんなが幻想にしろ中流だって思え、それぞれの生活が楽しめるからこそゆとりも生まれ、安全なのかもしれない。豊かな国って、モノが溢れる国ではなく、お金を湯水のように使う国でもなく、それぞれが自分自身の時間を楽しむ余裕があり、人を思いやるゆとりに満ちた国のことじゃないのだろうか。格差はそれをすべて否定する。
頭の中を妄想がぐるぐる回りはじめる。ラジオからは、次期総裁候補者の話が流れてくる。政治の流れは、私たちの側から少し離れたところにあるかに感じる。かといって、何かを今すぐできるわけではない・・・。せめてしっかり報道に目を通し、報道の裏側をも読み取るようにするか、そこから何か人の心を動かす企画でも拾い出せるかもと、小さなボトルの中のめだかを眺めながら、静かな昼下がりに思う。