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きっかけは自費出版

 創業は昭和5年「サンライズスタヂオ」という謄写版印刷のお店でした。本当は画家になりたかった父が謄写版の講習会をして、機材を売り、孔版印刷をしていました。戦争中も「サンライズ」という名前を使っていたそうです。

昭和12年頃のサンライズ
昭和12年頃のサンライズ。

 昭和50年から、自費出版の受注を全国発信するようになりました。退職公務員向けの新聞に小さな広告を出したところ、結構引き合いが多く、お客さまの約8割は県外在住でした。打ち合わせは殆ど手紙と電話でのやりとりで、お出会いしていない方が約7割。まさに通販のさきがけでした。先般刊行した『自費出版年鑑2006』もそのような経緯もあり、2002年版から小社で発行しています。
 当時、年間約30点の本を作っていたのですが、ボツボツ滋賀県の方からのご注文も増え、地域誌、民俗誌などを作らせていただくうちに、出版社不毛の滋賀県で本を販売したいと思いはじめたのでした。

■まずは石の上にも3年
 本を継続発行するにはシリーズ本を作るのが良いと、民俗学者の橋本鉄男先生のアドバイスを受け、平成6年「淡海(おうみ)文庫」と「別冊淡海文庫」を核として展開しました。
 とはいえ、商業出版のことなど何も知らないし、果たして本が売れるかどうかも不安だったので、「淡海文化を育てる会」という組織を作りました。これは会員になり、年会費を払えば、毎年3冊刊行する本を郵送するというシステムで、平成元年創刊の情報誌DUETに告知したところ、すぐに数百人の会員が集まりました。
 図書コードを申請すると最初から3桁もらえたこと(ISBN4-88325-●●●)、地方小との取引は上京もせずに、川上社長と電話、FAXだけで了解してもらったことは、それまで蓄積してきた自費出版物のお蔭だと思っています。
 とにかく3年、そして10年過ぎた平成15年にようやく社名をサンライズ印刷からサンライズ出版に変更しました。滋賀県は人口が130万人しかなく、ここで本を売るのはなかなか難しく、本業が印刷会社ゆえ、こうして十数年続けてこられたのですが、印刷はもっと厳しく、そろそろ出版にシフトいこうという社長の考えでもありました。

■近江商人のように 
 さて、初刷で終わりという本がほとんどですが、コンスタントに売れている本もあるので、少しご紹介します。
 『ふなずしの謎』は発酵食品の王者、いまや高級品となったふなずしについて7つの謎に迫ります。ふなずし神事からふなずしの食べ方、ルーツを求めて中国雲南省での調査のことも書いています。 『朝鮮人街道をゆく』は、彦根東高校新聞部が調べあげたかつての街道探しをルポ風にまとめるとともに、通信使の逗留先へ多くの文人が出かけて交流したこと、朝鮮外交に尽力した雨森芳洲のことにも触れています。
 このように小さな近江という地域から、広い世界へと視点を向けていく、まさに近江商人のような本づくりがスタンスです。
 社長は『近江商人列伝』を書かれた江南良三氏との出会いから、いつしか近江商人の広報ウーマンと化し、2ヵ月足らずで『近江商人と北前船』を作ってしまいました。またNPO三方よし研究所のメンバーとして近江商人に関する講演にも出かけています。もちろん、講演会での書籍販売は必須条件です。

■「売れない本を作れ」
 この言葉は自費出版の販売のお手伝いをしていた時代からお付き合いいただいている、がんこ堂の社長から教わりました。一過性の本でなく、ジワジワと売れる本、類似本が出ない本を作れということだと解釈しています。また、賭けをするような本を作ってはいけないとも解釈できます。
 この言葉を胸におきつつも、でももう少し売れる本を作りたいのが本音でもあります。本当にサンライズって小部数しか本が売れないため、博物館やホテルの売店で本を売ってもらったり、著者からのお声がかかれば、講演会やイベント会場に行商に出かけている日々でもあります。

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