「自立妨げ法」の「障害者自立支援法」
やどかり出版は,「精神障害者福祉工場」という「精神障害者」を雇用する社会福祉施設の中にある出版社です.障害のある人とない人が企画から編集,制作に至るまで一緒になって本を作っています.運営母体は,社団法人やどかりの里という,地域で暮らす精神障害のある人の生活を支援する民間団体です.
2006年4月に,「障害者自立支援法」という法律が施行されました.今まで,障害福祉の運動や努力,実践の積み重ねによって,障害福祉の水準は少しずつ向上してきたのですが,それが一気に壊される法律です.障害のある人,その家族,社会福祉の関連団体や施設,自治体の職員や関係者は,この法律に押し潰され,振り回される毎日です.
この法律は,実にさまざまな問題を含んでいるのですが,いちばん大きな問題は,障害のある人に,福祉サービスを受けるたびに1割の応益負担(定率負担)を強いるものである,ということです.障害を持つことは,個人の責任なのでしょうか.例えば,自宅のトイレに行く時にも,介助が必要であれば,1割の利用料を払わなければなりません.しかも,十分な所得の保障もなしに,です.
一方国は,3障害(身体障害,知的障害,精神障害)の福祉制度を統合し,水準を同じくする法律だということを強調しています.しかし,その「水準」はどこに合わせられるのでしょうか.
確かに,3障害の中で言えば,精神障害分野の福祉政策は立ち遅れていました.補助金額も使える制度も他の障害福祉に比べて少ないものでした.その立ち遅れていた精神障害福祉の水準に,他の障害福祉も合わせられるとしたら,どうなるのでしょうか.この法律は,障害福祉制度の財源が担保できないことに端を発しているのです.そして,社会保障費抑制は国の方針です.また,3障害の枠組みに入らない障害のある人もたくさんいます.その人たちは制度から零れ落ちています.
簡単に,3障害の福祉制度が統合されることを喜ぶ気には,到底なれません.
この事態を受けて,やどかり出版は「これでいいのか障害者自立支援法」と題したシリーズの3冊を緊急出版しました.すべてがやどかりの里の実践をベースに書き下ろしたものです.1冊目は「障害のある人からのQ&A」で,障害のある人,その家族が読みやすい,「障害者自立支援法」に始めて触れる人にもわかりやすい本に仕上げました.2冊目は「労働支援の現場から」,3冊目は「生活支援の現場から」で,それぞれ「労働現場」と「地域生活支援現場」の実践から見た「障害者自立支援法」について,現場の職員が危機意識を込めて書いたものです.
シリーズ1冊目には,2人の精神障害のある同僚がこの法律に対する意見を書いています.そのうちの1人,渡邉は,私と同じ書籍担当の同僚です.彼は,「この法律は『自立妨げ法』だ」「やどかり出版(精神障害者福祉工場)の給料と障害年金で自立する夢が絶たれた」と言います.机を並べて仕事をする私にとっても,ひじょうに重く,苦しく,やり切れない感情を呼び起こす言葉です.
渡邉の書いた原稿の一部を引用しながら,彼の言葉の背景をお伝えします.
福祉工場は,法律に従って新事業体系に移行すれば,「就労継続雇用型」の施設に変わることが想定されます.そこでは,必ず障害程度区分認定調査を受けなければいけません.その認定調査項目は,介護保険の認定をベースにした質問項目で,これから働こうという人間が受けるような内容ではありません.
そして,利用料が発生します.雇用契約を交わし,最低賃金を保障された場にも関わらず,福祉施設に対しては,日払い,人払いの補助金の報酬単価になります.渡邉は,1日約460円の利用料を払わなければ,働くことができなくなります.「一労働者として雇用されて,プライドを持って専門書の出版に携わってきましたが,この私の人間としてのプライドは,どこに持っていけばよいのでしょうか.やり切れません」という彼の言葉を,この法を作った人たちは正面から受け止め切れるのでしょうか.「働きに行っているのに,施設に利用料を払って,訓練といわれるようなサービスを受け,工賃をもらう.何か矛盾していないでしょうか」という彼の疑問に,この法を作った人たちは答えられるのでしょうか.
たまたま1人の人間が障害や疾病を持ったがゆえに,大きく生き方に制約を受けてしまう世の中の仕組みが,どんどん作られていっています.私たちはそれにがんじがらめにされてしまうのでしょうか.以前の版元日誌でも書かせていただきましたが,どんな状態であっても1人の人間として「健康で文化的な最低限の生活」を送り,「私らしく生きたい」と願って生きることは,決して過ぎた贅沢ではないと思います.それを保障する制度が,どんどん崩されていく今,黙ってはいられません.どうか,障害のある・なしに関わらず,この問題に関心を持っていただきたいと願います.