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ベスト・セラーと教科書問題

 出版社の営業担当という仕事柄、ほぼ毎日どこかしら本屋さんには足を運ぶ。自社の新刊本の売れ行きや在庫確認はもちろんのこと、その本のねらいにふさわしい書棚をあれこれ探すことなど、やるべきことはけっこうある。キョロキョロとした眼つき、ウロウロした態度、こんな風体のものに本屋さんで出くわしたら、出版社の営業にちがいない。

 足しげく本屋さんを訪ねては、書棚や新刊台、フェア台を眺めているのだから、今どんな本がどのくらい読まれているかくらいは、自ずとわかるようになる。考えるべきは、どうしてそれが売れているのか、読まれているのかだが、これはなかなか難しい。
「新しい歴史教科書をつくる会」や「自由主義史観」を標榜する人たちの動きがとり沙汰されて久しいが、書店の棚や平台は依然として、それをめぐる攻防の舞台だ。日本固有の文化や歴史なるものをことさらに言い募るかれらの書物にならべて、そのもくろみを批判し、記述の誤りを指摘する一群の本をとりそろえ、「教科書問題を考えるフェア」を催している本屋さんは少なくない。また、ある書店員によれば、ここ数年「どうして<自虐的>な本ばかり置いているのか」といったクレームをいうお客さんが増えているらしい。

 ところで、西尾幹二著『国民の歴史』(産経新聞社)は、どれくらいの人びとに読まれたのだろうか。先日、新宿の書店でたしかめたら、2000年の2月で7刷になっていた。通勤電車のなかで件の本に読みふける人を二度見かけたことがある。若い女性ともう一人は中年のサラリーマンだったが、「歴史」や「日本史」というコーナーにあって、この『国民の歴史』の売れゆきはたしかに抜群だった。では、なぜこの本は売れたのだろうか。

 それを問うためには、忘れてはならないもう一冊のベスト・セラーがある。1991年刊行の網野善彦著『日本の歴史をよみなおす』(筑摩書房)だ。こちらは99年4月までに27刷を重ねている。あるいは、同じ著者による『「日本」とは何か』(講談社)でもよい。これも昨年10月の刊行以来、わずか3ヵ月で 5刷である。網野善彦さんといえば、さまざまな「職人」や「海民」ともいうべき人びとに注目することで、これまで「農民」や「稲作」中心に想定されてきた日本史叙述の見直しを提唱したり、「東と西」という視点によって、均質とも、単一とも言えない、この列島の文化を描いてみせるなど、ユニークで、しかも読ませる歴史学者としてよく知られている。『国民の歴史』とならべて論じることは、見当ちがいなことだろうか。

 このところ網野さんの本には必ずといっていいほど、戦後歴史学(講座派の流れをくむマルクス主義史学)への批判的なコメントがある。「国民的歴史学運動」に自ら率先して参加したいきさつがあるから、その筆致は厳しく、また自己批判的だ。

 やや専門的な言葉でいえば「戦後歴史学批判」となるわけだが、読者の気分としては、むしろ、こういうことだろうか。「学校では学べない いちばんホットな日本史」、これは『日本の歴史をよみなおす』にまかれた帯の言葉だ。一方『国民の歴史』のそれには、「歴史は、こんなに面白くてわかりやすいのか」とある。そこに込められた思想も方法論もあきらかに異なる二冊だが、これを手にとりベスト・セラーにした人びと、つまり読者が、学校で学んだ歴史はわからない、つまらない、とか歴史は学校では学べない、と考えていることだけはまちがいなさそうだ。

 戦後の歴史学は、よく眺めてみれば、折にふれてさまざまな問題提起があり、叙述や論述の方法をめぐって論議がおこなわれてきた。「昭和史論争」があり、「民衆史」や「地域史」の台頭があり、またフランスのアナール派などに刺激をうけた「社会史」からの提起もあった。そこでの議論は学会や専門研究者たちのなかにとどまりがちだったが、網野さんの著作のベスト・セラー化は、その議論が読者一般に、言いかえれば世間にはなたれたことを意味している。そしてまた『国民の歴史』がよく売れたことも、著者のナショナリティを煽るもくろみとは別に、この流れのなかで考えてみる必要があるのではなかろうか。

 人びとをして「わからない」「つまらない」という気分にさせてしまった戦後の歴史学のありかたも、この際きちんと省みていこうではないか。「新しい歴史教科書をつくる会」や「自由主義史観」をいう著者が描く歴史書にしたって、やっぱりわからないし、つまらない、との声が聞こえてくるのもそう遠いことではない、と思うので。

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