ネットから生まれたスウェーデンとの関係
ひょんなことからスウェーデンと関わりはじめて、この夏で8年が過ぎた。きっかけは、Eメール、メル友だ。偶然スウェーデンに何人かメル友ができたのである。ネットの発達は情報だけでなく、人との関わり方まで変えてしまったような気がする。今まで、ニュースでしか知らなかった遠い国が身近になる。私にとって、スウェーデンといえば、社会福祉の先進国、フェミニズムの進んだ国、白夜、ずいぶん昔にはフリーセックスで有名な国、ぐらいの薄ぼんやりとした輪郭しかなかった国が、メル友やネットを通じて、すぐ手を伸ばせば届くような感覚の国に変わっていった。
メディアを通じての情報って、どこまで本当なの? なんて思う疑い深い私にとって、現地人に直接問いかけ、答えが返ってくるのは、なにより魅力的だった。もちろん、何人かの意見にすぎないとしても、公共というフィルターを通らないのは最高。で、ずっと聞いてみたいと思っていたバカな質問も友達だからできる。
「フリーセックスって日本人の中には思っている人が未だにいるんですが・・・」とそれとなく話しふると、
「日本だけじゃなくて、世界中でそう思ってる人が多いみたいだよ。それで女の子に期待してくるんだけど、がっかりして帰るんだよ」
って即座にふたりからレス。日本人だけじゃなかったんだと私は「ほっ」だが、メル友たちの文面にはウンザリ感がいっぱいに溢れる。実際、スウェーデンは、ヨーロッパでは珍しく、買春は禁止と聞く。一般の本屋でエロティックな本なぞ一度も見たことない。それどころか、私は、スウェーデンの男の子に
「日本じゃ、ポルノショップにどうどうと入店して恥ずかしくないのか」
なぞと言われ、言葉に詰まり、「私は、行かないもん」とわけのわからん答えをした。
でも、メル友の13歳の息子が女の子とファーストナイトというさりげない話や、10歳の男の子たちが、コンドームで水爆弾ごっこをするというには、感覚の違いを痛感。日本のイマドキの性教育はよく知らないけど、性教育、それもリレーションに主眼を置いた教育法は見習ってほしいなあなんて、若い子のエイズや妊娠中絶の話を聞くたびに思ったりする。
数々の失礼きわまりない私の質問にも、根がまじめなスウェーデン人はまっすぐ答えをくれる。年金や高齢者福祉のことで、いつも、お手本のように名前がでる国だけに、社会福祉の充実度は、さすがである。まあ、収入にかかる税金が35〜50%、消費税は平均25%だから当然といえば当然だが。羨ましいのは、大学まで、教育費は無料というのと、医療費もほぼ無料という点。
あるメル友の子どもは、障害を持って生まれ、心臓の手術が必要だった。その子の手術に関わる一切の費用、両親の宿泊したホテル代まですべて保険でカバーされたと聞き、なんてやさしい国、できれば移住できないかと考えた。
しかし、充実した福祉制度は時には、日本人的感覚では、「それって・・・どうよ」と思うようなケースが生まれたりしているようだ。特に若いときから、恵まれた制度の中で育った人たちは、年配の人たち以上にケアは当然の権利という意識が強く、それでいて、高い税金は嫌だからと、闇のマーケット(税金逃れの商売)が密かに増えているらしい。
ネットを通して、話し続けているメル友たちから届くさまざまな情報や季節ごとの写真にすっかり、私はスウェーデンにはまり、その情報のひとつから、『第3の年齢を生きる』(海鳴社刊)というスウェーデンのサードエイジの本も生まれた。そして、スウェーデンの風を感じ、メル友たちとフェースtoフェースで語りたくて冬と夏の2つの季節、スウェーデンに旅をもした。
ネットを通じて生まれた新たな関係が、これからもどんな風を私にもたらしてくれるのだろうか、老後の楽しみがひとつ増えたような気がする。