老舗版元の現状
タイトルがちょっと大げさでしたが、昨年入会してから初めての版元日誌なので、遅ればせながら会社の紹介をさせていただこうと思います。
飯塚書店は創業だけはかなり古く1949年5月に前社長(飯塚広)が始めました。トー・ニッパンそれぞれの創業が同じ年の9月ですからすこし先になるわけです。
古いから偉いなどということは全くないのですが前社長は取次との交渉時に「こちとらおたくの会社が出来る前からこの世界でめし喰ってんだ!」と啖呵を斬るのが好きだったようです。
こんな“べらんめぇ”な人なのに彼は詩人でもありました。とくに海外の楽曲や民謡の訳詞が得意で「禁じられた遊び」「牧場の小道(ストドラパンパ)」「ホルディリディア」などは皆さんも一度は口にしたことがあるかと思います。
今年の“原爆の日”に元ちとせが坂本龍一プロデュースで広島の原爆ドーム前で歌った「死んだ女の子」はトルコの詩人ヒクメットの詩を飯塚広が訳詩したものです。飯塚広は一昨年他界しましたので、この歌を聴くことが出来なかったのは残念でした。
それはともかく本業はあくまで出版ですので、海外の詩人の詩集をメインに現代詩の本や世界の音楽、日本の唱歌・童謡などの本を主に出版していました。当時はイデオロギーを前面に出して仕事をしていましたから、「50年出版してきて儲かったことは一度もない!」というのが彼の自慢?でした。そして同じ短詩型文学の短歌、俳句の本を手がけ、俳句ブーム(こんなブームもあったのです)のおかげで細々ながら現在に至っております。
出版業も産業界全体の中では隙間なのにその中でさらにニッチなジャンルで、あまり参考にはならないと思いますが、短歌、俳句の本に関していえば、まず思い浮かぶのが歌集、句集だと思います。でもこれらは商業出版としては成り立ちません。俵万智の「サラダ記念日」などは異例の事態で、あれ以降“柳の下”を狙って痛手を被った版元もあるみたいです。
現在活躍中の俳人、歌人でもそのほとんどが自費出版で結社の同人以下会員の方々にその本を買ってもらってなんとか帳尻を合わせているのが実情です。
商売として成り立つのは入門書や歳時記に類する辞典などで、したがって小社もこのあたりの企画がメインになります。ただ問題は俳人歌人諸先生方はスローライフの極致に達していますので、原稿の締切などあてになりません。ついに前社長は、いつ上がるかわからない原稿を待っているより自分で書いた方が早いと、自分で執筆して編集部編として出版するようになりました。これが昂じて装幀まで自分で手がけ全部似たようなカバーになってしまいましたが、これが意外にも書店で認知してもらえたようです。
さてこんな何でも自分でやらないと気がすまない強烈な個性の持ち主だった社長の後継ぎはというと、これが全くもって凡庸で先代を見習おうなどという気はさらさら無く、名刺にも創業1950年とキリのいいところにしてしまうような大衆迎合タイプです。
まぁ私のことですが・・・
先代の縛りがなくなったことをいいことに、とにかく売るために持ち込まれた企画までホイホイやってしまい、忙しくなって売り上げが増えたのはいいのですが支払はもっと増えました。そんなわけで結局何も残らないという点だけは先代と似てきました。
さすがに俳句短歌などの文芸書路線と「関根勤・ルー大柴100歳の挑戦」などというタレント本が同じ組織から出版されているのは、いかがなものか?と思い一般書に関しては「企画制作室」などとHP上だけではわけております。
この企画制作室ものですが、いままで経験したことのない、プロダクションやデザイナーとの打ち合わせ、DTPや最新印刷の情報などに振り回され、コストとの兼ね合いもあって、なかなか思うようにコントロールしきれず常に妥協を強いられています。このあたりをいかに上手くこなしていくかが今後の課題でしょうか。もっとも最近はどうせ売れないなら好きなことだけやってやろうと開き直りぎみですけど。
版元ドットコムに参加させていただいてからは、居ながらにして有益な情報を提供してもらい、書籍登録・業界連絡支援システムはうちのような零細会社には申しぶんないシステムで、ありがたく思っています。今後当方らからも何か有益な情報を提供できれば、と思っておりますが、現時点でできることといえば会費を即払うこととパブラインにログインしたら必ずEXITから出ることくらいでしょうか(失礼しました)。
今後もご教示の程よろしくお願いします。