本の直販残酷物語
5月17日から日本精神神経学会が大阪で行われるので、関西の書店営業を兼ねて本の販売に出掛ける予定である。一年間に出掛ける学会や集会は、それほど多くはない。岩田書院の岩田博さんは、春と秋は連日学会まわりで超多忙だと「新刊ニュースの裏だより」に書いていたが、私のところはせいぜい3回か4回でたいしたことはない。けれども記録にとどめておいたほど、無残と言えばあまりにも無残な集会の模様を日記に認めておいたのでお伝えしたいと思う。それは今年の1月に東京で行われた日教組の全国教育研究集会のことである。
1月26日(木)
午後2時から日教組の教育研究集会の準備のため、現代書館の金岩さんを隊長に、社会評論社の松田副隊長、緑風出版の高須副隊長と私、平均年齢57歳、兵隊が一人もいない老人部隊は、荷物を全体会場の有明コロシアムに運び込む。各社のダンボール箱は体力に合わせて中くらいの大きさのものだが結構重い。30 数個のダンボール箱を会場裏の販売所に運ぶ。
4時、日教組の大会担当者・丹野さんが業者との打ち合わせに来る。
打ち合わせ終了後帰社。帰りは電車でりんかい線に乗る。新木場で有楽町線に乗り換え、市ヶ谷で総武線に乗り換え、水道橋駅へと。ところが結団式をしなければ明日からの志気にかかわるということになり急遽、市ヶ谷で下車。一杯飲み屋で明日からの健闘を誓い合う。
1月27日(土)
日教組の教育研究集会は、今日が初日の全体会。朝から雪が舞う寒い日。
朝6時起床の予定が、6時30分を過ぎていた。顔を洗い歯を磨き、シャワーを浴びてひげを剃る。食事もそこそこに雪の中を走って西荻窪駅に向かう。土曜日は快速電車は走っていない。各駅停車の中央総武線に乗って市ヶ谷駅へ、有楽町線に乗り換え、新木場駅へ。そこから、りんかい線に乗り換え、国際展示場前駅へ。市ヶ谷駅からここまで電車賃が420円とは高い。8時00分到着の予定が、10分近く遅れて到着。
駅の前には、日教組の人達が右翼の妨害を恐れて警察機動隊と一緒に入場者の点検に目を光らせている。右翼の街宣車が勇ましい音楽をバックに「日教組粉砕!」とがなり立てながら走り去る。中核派や革マル派とおぼしき左翼の活動家達が、吹雪きの中で両脇からビラを配る。
階段を上りながら目指す有明コロシアムを見ると、すでに日教組の人達が準備に大童になっているのが見える。大あわてで会場に入り、昨日準備した場所へと急ぐ。すでに、現代書館の金岩部隊長は、先陣を切って緑風出版の高須副隊長とともに本をならべて準備しているではないか。これこれは急がなければと、さっそく準備に入る。社会評論社の松田副隊長の姿が見えない。もしかしたら小田急線が止まって来れないのかも…。心配しながら準備していると、猛吹雪でずぶ濡れになりながら、大きなお腹を抱えてやって来た。これで全員集まったことになる。やれやれ。
雪はますます吹雪いてきた。会場の周りにはだんだん雪が積もってきて、大雪なりそうだ。この雪の中を教師の連中はちゃんと来るだろうか。いささか不安になる。教師になる人は真面目な人が多い。真面目な教師ほど言われたことは必ずそれなりにやるが、それ以上のことは決してやろうとしない。教研集会には必ず来るが、本を買ってまで勉強しようという教師はあまりいない。ちょっと偏屈な教師の方が親しみがあり魅力もあって、本も買っていくような気がする。彼らは学校という異空間の中で、一種独特の人格を形成しているように思える。
受付が始まり先生達が入場してきたが、本の販売所の方には誰も来ない、準備万端整えてお客を待っているが、寒いせいか誰も寄り付かない。金岩隊長の朗々たる呼び込みの声も、むなしく会場に響き渡るだけだ。身体を動かしていないと寒くて歯が噛み合わない。大会本部からホカロンが支給され、靴の底とズボンに入れるが寒さを凌ぐほどではない。開会式が始まったが、全体会場の中も寒いので座ったままで誰も動こうとしない。昼近くになってやっと人の出入りが出てくるがなかなか本を買おうとはしない。一人が買い、すると連られて二人めが買う。それを見ていた三人めが買うといった調子で、何とか昼の休憩で多少の売り上げが期待できそうだとひと安心。せっかくこの大会のために重版したのに一冊も売れなかったらどうしようと、内心冷や汗ものだった。
それにしても寒いのと売れないのとでダブルパンチだ。本を片手に持ち上げてテキヤのように声を嗄らしても客は寄ってこない。トイレに来たり煙草を吸ったりしてもすぐ引き返してしまう。遠くの方から何か珍しい物でも見るように眺めているだけだ。これほど大衆的に支持されない本をどうして作ったのかと、自負と悔恨の念で千々に乱れ複雑な想いに囚われる。
大雪でりんかい線が止まったという情報が入る。金岩隊長が何処で仕入れてきたのか「祝50年」と書かれた昼の弁当を支給してくれる。隊長はこうでなければ勤まらないなどと言いながら、さっそくパクツク。……冷たい。実に冷たい弁当。更に冷たいお茶を飲みながら弁当を食べ終わる。身体の中が冷え切って、いてもたってもいられない。高須副隊長が「おい、暖かい所があるぜ」と手招きするのでついて行く。
会場内に入ると人いきれで多少暖かい。左側に鉄製の重たい扉がある。その閉じられた扉を開けると、その部屋だけ暖房が入っていて何とそこには大勢の先生が上着を脱いでシャツ一枚になって寝転がったり煙草を吸ったりしているではないか。中には半袖の肌着で寝ている先生もいる。極楽、極楽。やっと生きた心地がする。暫し休憩の後、再び吹雪きの舞い込む販売所へ。順番に交替する。こんな部屋がこの建物の中にあったのだ。何でここを業者の販売所にしてくれなかったのか。日教組の幹部もこの場所を案外知らなかったのかも知れない。
大会は午後4時半ぴったりに終わった。盗賊のように荷物を片づけ、金岩隊長が猛吹雪の中を配車してきたワゴン車に返品を入れ終えて車の後部座席に座ったときは、何とも言えないほどほっとした。大雪の中を全国動員された右翼の悠然たる大型街宣車に前後を挟まれながら、借りものの我が部隊のワゴン車がゆっくりゆっくりと走る。暖房が効いてきて寒さと疲労が和らぎ、睡魔が襲う。
勝鬨橋を渡り銀座通りを過ぎて江戸城の雪景色を右手に見ながら、千鳥が縁・和田倉門を経て毎日新聞社の脇を左折して駿河台下から御茶ノ水を経て本郷へ。冷え切った社内で一休みする間もなく、臼井君へ明日の連絡事項を記す。荷物を整理していると電話が入る。一刻も早く熱燗を飲みたい。はやる気持ちは抑え難くすぐさま場所を指定、直行する。水道橋・串八珍。高須副隊長と途中で落ち合う。金岩隊長に慰労をと思ったが、隊長は来れないと言う。松田副隊長はまだ来ない。すぐさま大徳利の熱燗を注文する。若い兄ちゃんが無愛想に注文を受ける。早く早く。何をぐずぐずしているのだ。やっと大徳利が来た。さあさあ飲もう。
……良く飲んだ。10時半だ。明日も早い。早く帰ろう。
*結局、全体会と分科会の3日間の売り上げが18万円だった。何とも無残な結末である。
*当初、今回の日誌は宮崎学『突破者 戦後史の陰を駆け抜けた50年』とその周辺について触れてみたいと思ったが、大分前のことなのでいくら探しても本が見当たらない。どうしてこうだらしないのだろうか、とつくづく嫌になる。