「韓流」ブームと文化交流のすすめ
《冬のソナタ》から始まった「韓流ブーム」。ブーム到来の数年も前から秘密結社か何かのように友人の家に集まっては、韓国や香港、台湾などのドラマを鑑賞していた私には、韓国スターの写真集が書店売り上げベスト10に入り、コンビ二で「ハングル」の歌が流れる、そんな時代がこんなにも早く訪れるとは想像もできませんでした。一説によるとこの韓流ブームの仕掛け人は某広告会社だとかネット上では噂されていますが、韓国スターを通じて韓国という国に興味を持ったファンの中には、ハングルを学ぼうという熱心な人が少なくないと聞き、この勢いは単にブームでは終わらないのではないかと予感しています。
私自身もご多分に漏れず、アジアンスター、特に香港スターのファンになってから7年ほどたちます。何かにハマってもひととおり体験してしまうとあっという間に飽きていた私ですが、アジアンスターだけは長続きしているのです。その理由のひとつに言語への興味があると思います。憧れの香港スターが話している言語を学ぶうちにその国の生活や習慣を理解するようになり、更にもっと違った次元の興味が湧き、芸能だけでなく香港そのものが好きになりました。私と同じようなきっかけで日本に興味を持っている人達が香港にも大勢います。言葉、身振り手振り、筆談と、あらゆる手段を使い互いに自国の生活を紹介しあったりする時間はとても楽しいものです。音楽や映画は文化交流への入り口です。なにも海外に出向かなくとも、たとえば池袋の中華料理屋でもインド料理屋でも充分です、隣の外国人に話しかけて会話を楽しんでみるのはいかがでしょうか。
言語を学び、理解が深まり、交流が広がれば、相手の国(人)の良い面だけでなく悪い面も見てしまうことがあります。個人的に厭な思いをしがためにその国を嫌いになる人もいますが、個人と国家への評価は理性的に分けるべきですし、政治的な批判を個人や民族への攻撃に転換してしまうのは悲劇しか生みません。更に言えば、相手の文化を理解せず単に言語だけを習得するのは、免許ももたずに銃を持つのと同じぐらいに危険なことかもしれません。安田純平氏(著書:「囚われのイラク」現代人文社刊)がイラクで拘束された際に自身を助けたのは、拘束中にも言語を学ぼうとした姿勢と食への興味、生活習慣や文化への敬意だったのではないかと思います。
私には香港へ行くと必ず訪れる場所があります。BEYONDというバンドのボーカルだった《黄家駒》のお墓です。十一年前、アジアでカリスマ的存在であった彼は、日本での活躍の夢半ば、日本のバラエティ番組の収録中に不慮の事故で亡くなりました。そのお墓からは彼が愛した香港の港の風景が一望できます。香港でしか生まれ得なかった彼の声を聴きながら、彼の愛した香港を眺めそして、彼が音楽に託した「和平」について考える。それは私の心をリセットしてくれる大切な時間です。