得難い、外国の著者との出会い
通信機器が発達し、郵便局まで行かなくても集荷してくれる宅急便が当たり前の運送手段になって以来、これではいけないと思いつつも、著者・翻訳者とのやりとりが間接的なものになった。書く立場からいっても、担当の編集者とは顔を合わせているほうが、ずっと仕事がやりやすいことはわかっている。でも人手不足も手伝って外出もままならない事情もあり、誰と限らず現代に生きる私たちは全般的に忙しなく生きているせいか、人に会わずに用事を済ましてしまう傾向に歯止めはかかりそうにない。
そんななか、翻訳を出版している外国の著者や関係者の来日が続き、思いかけず、国内の著者とも十分には出来ないでいる付き合いができて、やはり、或る満足感をおぼえている。8月に刊行した『アフター・ザ・ダンスーーハイチ、カーニヴァルへの旅』の著者エドウィージ・ダンティカが刊行直後に来日した。1969年、カリブ海のハイチに生まれた。12歳のときに両親が先に行っていた米国に移住した。以来そこに住み続けて、いまに至る。若くして書いた小説が注目され、日本でもすでに『息吹、まなざし、記憶』(DHC刊)と『クリック? クラック!』(五月書房刊)が刊行されており、『アフター・ザ・ダンス』は3冊目の日本語訳となる。幼い日々より祖母や母たちから聞いたハイチの物語世界をベースに、現代を生きるハイチの人びとを描く。関心のある方は、実際の作品に接してほしいので、作品についての説明・解釈は省く。彼女を迎えて、一夕、「ハイチ文化を楽しむ夕べ」を開いた。50人の会場にちょうど50人が集まった。来年は「1804年ハイチ独立革命」から200周年。私たちはハイチという国をほとんど知らないが、この独立革命がもつ世界史的な意義を、私が簡潔に説明した。
その後、ラテン・ミュージックのDJとして名高いPAPA-Q氏を水先案内人に、「ハイチ多面体音楽逍遥」と題して、11曲ほどのハイチ音楽を聴く時間をもった。
出席したハイチ人に、これほどハイチ音楽の全貌を聴く機会は、ハイチでもないと言わせるほど、充実した時間だった。東京近郊に住むハイチ人はみんな来たのではないか、と大使館の人が言っていたが、会場には7人ほどのハイチ人が来ており、彼女(彼)たちは途中から音楽に合わせて踊り始め、会場の雰囲気は一気に盛り上がった。
最後にダンティカさんが話した。カーニヴァルに付き物の仮面の話、ダンスの後に残る気持ち、書くことの意味ーーどれもこれも興味深い話だった。いずれまとめて、現代企画室のHPにアップするつもりだ。二次会への参加者も多く、彼女を囲んで、さまざまな会話が弾んだ。私たちもそうだったが、帰国した彼女から「とても楽しい集まりだった」とのメールが届いたことにほっとした。
10月末には、メキシコ・チアパス州から6人ものカトリック関係者が来日した。
私たちはすでにサパティスタ民族解放軍著『もう、たくさんだ!』や『マルコス ここは世界の片隅なのか』などを出版しており、さらに進行中の仕事があるが、チアパスで続くサパティスタのたたかいは、反グローバリズムの運動のなかで世界的な注目を浴びてきた。カトリック関係者のなかには、サパティスタと政府の和平・対話の仲介役として重要な役割を果たしてきた人びとがいる。来日の目的は、ある仏教教団が主催した宗教者平和シンポジウムに出席するためだったが、その仕事を終えた夜の時間を私たちのために空けてくれた。そこで「メキシコ・チアパスの声を聴く」という催し物を開いた。会場は、都心のカトリック教会内部のホール。外からは何度も見かけていても、内部には入ったことのなかった私のような人間には、建物のたたずまいそれ自体が興味深い。
6人(女性2人、男性4人)から聞くチアパスの現況は、それぞれに個性的な説明で面白かった。この内容もHPにアップするなり、小冊子にまとめる作業を早速始めている。いろいろと話し合った成果は、いま進行中の出版物企画にも生かすことができるだろう。それにしても、来日する度ごとに「憲法9条はどうなった?」と質問する彼らに対して、ますます悲観的な答え方しか出来ない日本の現実が胸にこたえる。
インドはベンガルの作家、モハッシェタ・デビの新刊『ドラウパディー』は、3年間続けられてきた「日印作家キャラバン」の結果として生まれた企画だ。日本からは、津島佑子、松浦理英子、星野智幸、小熊英二、川村湊、中沢けい、島田雅彦の諸氏が参加してきた。この交流のなかで、日本の作家たちが最も注目した作家のひとりが、モハッシェタ・デビさんだ。「めこん」からはすでに1992年に『ジャグモーハンの死』が出版されている。ある時「めこん」の桑原さんに、モハッシェタ・デビの本を今度出すよ、と言ったら、「売れないよ」と即座に答えたのが印象的だった。それでも、とにかく、出した。昨年からノーベル文学賞候補にノミネートされているという情報もあったので、一応刊行は今年の受賞者発表までギリギリ待った。結果はご存知のとおり。でも、彼女の作品には、力が漲っている。その力で読者を広げてほしいものだ。
日印作家キャラバンは、来る11月中旬、山形と東京で開かれるシンポジウムで一応の区切りとなる。インドから5人の作家が来日する。デビさんは高齢なので(1926年生まれ)来日しないが、5人はそれぞれベンガル語、ヒンディー語、英語の作家として、現代インド文学の担い手として活躍している人だという。その人たちとの出会いも楽しみだ。
こうして、外国の著者・関係者との出会いが次々とあって、今年の夏は過ぎ、秋は深まってゆく。国内の著者・関係者との「出会い」も大事にしなければ、との思いも、あらためて深まる。