1人1人が大切にされるところから
近頃は,建前の裏側にある本音を,隠すことなく堂々と行える世の中になったのでしょうか.
政策や施策の理念と内容のギャップをそのままに,どんどんいろいろなことが押し進められていってしまっていると感じます.
同僚や一緒に仕事をする人たちには,精神病院での「社会的入院」を経験している人がたくさんいます.ほんとうは退院できる状態であるにも関わらず,社会的な諸事情により,ずっと精神病院に入院している状態です.いまだ40年近くを病院で過ごしている人も,全国各地にいます.
この「社会的入院」の問題には,さまざまな原因が絡んでいます.根底には,国の精神「障害」者に対するこれまでの施策や,それに沿って形作られた精神医療システムの問題があります.基本的に,「社会防衛」の視点から,精神「障害」者という存在が政策上扱われてきたことが,今の状態を生み出しています.
新障害者プランで精神障害者保健福祉施策の推進が重点課題として挙げられ,「今後の精神保健福祉施策について,入院医療主体から,地域保健・医療・福祉を中心としたあり方への転換を図る」とあります.
おおよそ34万人の精神科への入院者のうち,社会的入院者は少なくとも3分の1を占めると言われています.施策の中では,10年かけて7万2千人の「社会的入院」者を退院させ,地域生活へ移行させると謳っています.しかし,「社会的入院」者は,数十年も,自分の思い通りにならない生活を送らざるをえなかった人たちです.さらに10年待てというのでしょうか.
何十年も「社会的入院」をしてきている人は,とうぜん高齢になっています.60代後半,それ以上の年齢の人も多いはずです.身体が動くうちに退院したいと思うのは,とうぜんのことでしょうが,10年という期間はそれを考慮しているのでしょうか.もっと言えば,7万2千人の人たちが,生きているうちに退院できる期間なのでしょうか.
また,「社会的入院」が今なお解消できない理由の1つには,地域での支えがひじょうに乏しいことがあります.地域生活を支えるような拠点は,他障害と比べても,特に少ないのです.今年度,そのための施設整備費は大幅にカットされて,わずか14.8%しか新規の地域施設が認可されませんでした.その理由は「予算がない」ということでした.「入院医療主体から,地域保健・医療・福祉を中心としたあり方への転換を図る」という施策の基本と逆のことではないのでしょうか.
その一方で,池田小学校事件を契機として,いわゆる触法精神障害者の処遇法案「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律案」が先日7月10日に衆議院本会議で可決,成立しました.何度も「保安処分」絡みの問題が指摘されて,話が出ては立ち消えてきた法律です.関係団体で賛成しているのは,日本精神病院協会のみでした.
犯罪の再犯防止のために,「再犯の恐れ」があれば,実質無期限に特別施設への強制入院や通院が課せられるのです.例えば,該当者も,再犯の判定方法も,判定基準もあいまい,そもそも精神障害者の犯罪だけを特別に扱う意味はあるのか,などというような,実にさまざまな問題を含んだまま押し通されてしまいました.
「刑務所には刑期があるけれど,精神病院にはないんだよ」という同僚の言葉が,改めて思い出されます.
「社会的入院解消のための退院促進支援事業の実施」のための予算は4,400万円.「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者に関する医療体制の整備及び必要な人材の養成」には,36億7,700万円という現実に,何のために国の政策というものは作られていくのか,考えざるを得ません.しかも,36億 7,700万円という予算は,法案の審議中にすでに立てられていたものです.
自分の現場に近いところからみる政策の不可思議さについて長々と書きましたが,全体の政策の中で起こっている矛盾の一部分に過ぎないでしょう.
こんな時,立ち戻るところは,やはり同僚たちの経験であり,それぞれ違う人間1人1人が,人間として大切にされることを起点にして物事を考えたり,行動したりしなければいけないという点です.それがなければ,どんな政策も施策も意味がないどころか,人の人生や命を奪ってしまうものになると感じています.
蛇足ですが,私の同僚たちの経験は『やどかりブックレット・障害者からのメッセージ』シリーズに収められています.どうぞ参考になさってください.