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なしくずし

 何年か前になるが、あるテレビのクイズ番組で「なしくずし」ということばの意味を尋ねるものがあった。
 数人ではあるが、正解者がいた。
 「借りた金を少しずつ返済していくこと」、これが正解だった。知らなかった、というより、時々使うことばだっただけにむしろ意想外。
 「済(な)す」は「支払うべきものを支払う」、「崩す」が「片端から少しずつする」(いずれも大辞林第二版、三省堂)と、その意味をたどれば、まぁなるほどとはおもう。

 しかし、この語を「正解」の意味で使用する例が一体どのぐらいあるのだろうか。
 日本国語大辞典には、「ぢみちに稼ぎ稼ぎ借金をなし崩し、凡そ五年ばかりで身脱をした」(泉鏡花『湯島詣』)とあるがちょと古くぴんとこない。
 もっとも、借金を少しずつ返済する以外「物事を少しずつ片付けていくこと」という意味もあるが、どちらも「堅実」「着実」でなにやら「信頼」がちらつく。
 むしろ自分には、「権益がなしくずしに拡大」「なしくずし的に空文化」「なしくずし規制緩和」といった例文のほうがしっくりくる。勝手な解釈で恐縮だが、どちらかといえばこのことばは合法、合意、公正などと相反する意を含み、少しずつ崩れる、というかむしろ崩されるといった意味で使われ、権力や体制的なるものへの批判的な文脈においてよりなじむ。
 なんといってもこの語には角度がついている。前後の文章を読まずとも文意がどの方向に向いているのか大筋わかるというもの。ディテールは語らず、あるいは語れなくても気持ちは伝わる。少なくても自分の立ち位置ぐらいは示すことができる。
 決して誤用をすすめるわけではないが、このことばには新たな意味を獲得してほしいとおもう。

 昨年末のことになるが、アメリカのイラク攻撃反対を呼び掛けるオンライン署名がまわってきた。何名かに転送したところある人から辛口のメールがきた。
 「イラクにおける人道的悲劇は抑圧的指導者のもとで行われている抑圧的政策であることを忘れてはいけない」、そして「経済制裁、抑止策の限界が明確な以上、軍事的封じ込めを強化する選択肢は現実的」などと続いた。
 確かに湾岸戦争終結後、経済制裁、査察団派遣、さらには「飛行禁止区域」内での空爆と武力的制裁も含めイラク封じ込めは行われてきた。そして、9.11 テロ後、支援国家として関与を疑われ、今や大量破壊兵器開発疑惑を理由に、とにかく攻撃目標として定められた照準は動かず、あとはタイミングの問題だけ、むしろ焦点はフセイン崩壊後のイラクをどう舵取りするか、といった状況だ。

 しかし、なぜ?
 アメリカの安全にとって最大の脅威であるサダム・フセイン自体の排除、またアフガン空爆で中央アジア、そしてイラク侵攻で中東と、石油利権でつなぐ見方、さらにはアメリカの新保守主義派とイスラエルとの結びつきが強く双方の国益を守るためとの論などなど、なぜイラクをフセインを叩かねばならないのかについての分析は進む。

 しかし、たとえ明解な理由を提示されようと、納得には至らない。
 今やアメリカの大統領一人の権限で他人の命を簡単に奪うことができる状況にある。ひとたび戦争となれば必ずや犠牲者がでる。民間人、女性、子どもと犠牲になるたびニュースになるが、個人の命と考えればそれは兵士とて同じであろう。一人一人の人生を、日常を奪い奪われることにおいてはなんら違いはない。戦争という政策は常に個人の現実を巻き込み、そして個人の命を犠牲にして成り立っているのではないか。
 しかし個人の現実は理想と片付けられ、国家の現実は政策として位置付けられる。
 政治、政策的な分析を無意味と考えているわけでは、決してない。が今回の「侵攻」が「戦争」である限り、個人の現実への認識を欠いた議論は、その一箇所が埋まらないゆえ永遠にすれ違う。そこに至るプロセスやシナリオがいくら解明されようと、その現実への視点を欠いて得られる合意などないのだから。むしろ、この「戦争」のハードルの低さを無意識のうちに内面化させられる危険性すら感じる。

 なしくずし的に進められるイラク侵攻。その現実の一側面はやりたくもない殺し合いへの強要である。そして、そのアメリカ型支配によってもたらされる現実は、同盟国日本にとってなにも対岸の火事ではない。
 チョムスキーのことばを少し引用しよう。
 「一般に、ある社会を見るとき最初にやらなくてはならないのは、権力はどのように配分されているか? と問いかけることです。主な決定を下すのは誰か? これから何が生産され、消費され、配分されるかを決めるのは誰か? 政治の世界に行こうとしているのは誰か? 人々の暮らしに影響を与える決定をするのは誰か? たいていのところではかなり簡単に見つけ出せます。」(『グローバリズムは世界を破壊する—プロパガンダと民意』1月15日、小社刊)
 たとえその配分をかせぎだすことに無関心、無自覚だとしても、「暮らし」への「影響」という殺し合いの現実に直面してまでそれを保てる人が一体いるだろうか?
 だから「戦争」は繰り返される。その連鎖を断ち切るためにも引いておかねばならない一線は、やはりある。

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